鬼とトッケビの新・モノ騙りその1
今回の「鬼とトッケビの新・モノ語り」はその7冊目です。これが真に新日鉄の目指す「鉄づくり、物作りに対する知識を深める」ための本であるならば、私が如何に嫌韓だからと言って、無闇にこれを糾弾するつもりはありません。
問題はこの本を書いたのが韓国人で、しかも李寧煕で、しかもどうやら新日鉄側の監修がないのではないかということです。
高出力の朝鮮電波発信源として一部の韓国ウォッチャーの間ではつとに有名な李寧煕ですので、この本も必ずや電波に満ち溢れたものであろうことは、読まずとも想像がつきます。
じゃあ読まなきゃ良いじゃんとは思うのですが、そこが韓国ウォッチャーの哀しさ。読むのに苦痛を伴い、かつ読めば必ず不快感を覚えるに違いないとわかっていても読まずにいられないこの業の深さは、きっと前世の因縁に違いありません。
確か新日鉄はミッタル・スチールとかいう世界最大手の製鉄会社の敵対的買収に悩まされているとやらで、それに対抗するためにPOSCOと共闘したいという思惑もあるようです。それはそれでそれなりに理解出来なくもありません(韓国人なんかと共闘したら、背後から弾が飛んでくるとは思いますが)。
執筆者や本の内容は措くにしても、この本が日本語とハングルの併記という点も私の興味を強くひきました。と言うのは、日韓チャットでもそうなのですが、日本語から韓国語、韓国語から日本語への翻訳は、しばしば歪曲が行われているからです。先日のチャットログでもありましたが、日本語で「鬼」と入力すると「お化け(トッケビ)」と翻訳され、韓国語で「トッケビ」と入力すると日本語には「鬼」と翻訳されます。
この程度ならばまだ無邪気な方です。悪意の垣間見える例をあげれば、日本語で「朝鮮戦争」と入力すると韓国側には「韓国戦争」と翻訳されたり、朝鮮語で「チョッパリ」と入力すると、日本語では「日本人」と表示されたりします。
ですから、この絵本の日本語の内容とハングルで書かれた内容には、きっと相違があるに違いないと思いました。しかも執筆者は李寧煕です。そうでないはずがありません。
一読してみると、案の定この本の内容は「製鉄技術は韓国から伝わった。韓国の製鉄技術者はトッケビと呼ばれていた。トッケビは日本に渡って鬼と呼ばれた。日本では鬼は製鉄技術を伝えてやったのに、何も悪いことをしていないのに、時に鬼退治という名目で虐げられたりした。しかし、やがて鬼は子供の守り神として日本に溶け込んだ。トッケビおじさんありがとう!(この最後の一文は、そう言えと日本の子供たちに言ってるように私には読めました)」というものでした。
ともあれ、まえがきから順を追って、絵本の画像で日本語とハングルの原文、そして拙い訳ですが、出来るだけハングルの原文に忠実に翻訳した訳文をご覧に入れます。
こんなもんで日韓友好とか思ってるからミッタルに狙われるんだよ、という意見には、思わず納得してしまいました。
表紙ハングル訳文
おばけとオニのおもしろい話
日本語では「鬼とドッケビの新・モノ語り」というタイトルであるのに対し、朝鮮語では「ドッケビとオニのおもしろい話」になっている点が興味深いと思います。この絵本は、新日鉄の「新・モノ語り」シリーズの第7冊目です。「モノ語り」という言葉には「物作り」を引っ掛けているわけでして、これを「おもしろい話」としてしまうと、シリーズとしての意味がまったく無くなってしまいます。韓国人側には、このシリーズの意図を伝える必要が無いということなのでしょうか?まあ、韓国人には「物作り」の概念が無く、伝えようがないのかもしれませんが。
P.1 ハングル訳文
まえがき
昔昔,銑鉄を作る技術は、
我が国から日本に伝えられました。
その後日本は研究に研究を繰り返し、
世界でも一番上級に選ばれる銑鉄生産国になりました。
今,やはり世界一番上級の銑鉄生産国の韓国も、
より一層発展しようとしています。
韓国と日本をつなぐこの本を通じて、
隣どうしよりさらに親しい間がよいよう願います。
李寧煕(り ねいき/イ ヨンヒ)
1931年 東京で生まれる
1944年 韓国に帰国
1954年 梨花女子大学英文科卒業
1960年 韓国日報入社
1981年 韓国国会議員当選
1985年 公演倫理委員会委員長
現在 POSCO人材開発院教授(製鉄史)
銑鉄(せんてつ)…鉄鉱石を溶鉱炉で還元して取り出した鉄。3~4パーセントの炭素と少量の珪素(けいそ)・硫黄・燐(りん)などの不純物を含み、硬くてもろい。大部分は製鋼用に、一部は鋳物用に使われる。ずく鉄。(大辞泉)
「鉄(朝鮮語でチョル)」と「銑鉄(朝鮮語でムソェ)」の違いをチャットで韓国人に聞いたところ、「鉄(チョル)」は、「工業原料としての鉄」、「銑鉄(ムソェ)」というと「硬くて強くて重々しい鉄」というイメージがあるようです。日本語で言うところの「くろがね」に近い語感でしょうか。
この絵本では、「鉄」は一貫して「銑鉄」という単語に統一されております。仮にも製鉄会社に籍を置く身であれば、鉄についての単語の違いには、もっとナーバスになっていただきたかったのですが、どうやら李寧煕は語感を重視した模様。今回必死こいて鉄、鉄鉱、銑鉄、鋳鉄、錬鉄、鋼鉄などの違いを調べた私が間抜けなのでしょう。
ところで製鉄技術や金属加工技術は「韓国から日本に伝わった」というよりは、「中国から朝鮮半島を通って日本に伝わった」というべきであるということは、もはや改めて言うまでもありません。韓国人がこれをあえて「韓国から伝わった」と言うのもまたお約束です。
※お断り この絵本の画像は6/11に削除しました。
コメント
製法の違い
私は島根に住んでいたことがあります。江戸時代鉄生産の半分を島根が占めていましたので、昔の製鉄所なども残っていますし、技術を絶やさないために今でも年に数回古式製鉄を行っています。
この方法によると、現代の銑鉄、鋼鉄と言う順序に依らず鉄になります。砂鉄から低温製鋼法によりいきなり純度の高い玉鋼(本当に錆びない銀色に輝く鉄です)と言う良質な鉄鋼が出来るので、現代の言葉で銑鉄製造や製鋼と分類してみても余り意味は無いのですが。
日本で銑鉄と言うと鋳物にしかならない脆い弱い鉄で、黒鉄の方が粘り強く丈夫な鋼鉄を意味するので、李さんがどう言うイメージでこの言葉を使ったのか本当に腑に落ちません。
すみません、誤字かな?と・・・。
>大部分は製鋼用に、一部は鋳物用に使われる。ずく鉄。(大辞泉)
の ずく鉄 …、 くず鉄でしょうか?
あら座殿
間違っちゃいませんよ。
せん‐てつ【銑鉄】
鉄鉱石を溶鉱炉で還元して取り出した鉄。3~4パーセントの炭素と少量の珪素(けいそ)・硫黄・燐(りん)などの不純物を含み、硬くてもろい。大部分は製鋼用に、一部は鋳物用に使われる。ずく鉄。ずく。
ずく‐てつ〔づく‐〕【▽銑鉄】
銑鉄(せんてつ)の俗称。
疑問に思ったことは調べる癖をつけたほうが宜しいかと、僭越ながら
おお、そうでしたか。
七七七さん、有難う御座います。
私はずっと間違って覚えていたかもしれませんね。
今までくず(屑)鉄と思っていたのが、実はずく鉄、だったと。
新日鉄に電凸して意向を聞いてみてください。
独り言
新日鐵の上のほうに親類縁者がいるので滅多な事はいえませんが・・・
分かっているのは本命はPOSCOではなくブラジルを中心とした南米
以下はあくまで私個人の見解です
そもそも学会に中国人はいますが韓国人は学生を含めても一人も参加できていません
正直POSCOには新技術を開発する能力は無いと思われます
それゆえに新日鐵側はPOSCOが買収されても痛くも痒くもなく防波堤としての役割を期待できるのです
新日鐵としては絵本程度で満足してくれる彼らはまさにイージーマンといえます
もしPOSCOがこれ以後の技術導入を期待しているとしたら無駄です
>昔昔,銑鉄を作る技術は,
我が国から日本に伝えられました。
・・・
>韓国と日本をつなぐこの本を通じて,
>隣どうしよりさらに親しい間がよいよう願います
やはりというべきか、またも新たな日本-朝鮮の友好云々用のプロパガンにすぎない俗物のようですね。 今度は鉄のウリナラ起源かよ...たいがいにせとけよorz
新日鉄は明治維新前後の日本の鉄産業についてもふれるんでしょうか?
本当に”近代的”な鉄産業が日本で発達したのはこのころで、ドイツから輸入した溶炉の技術を基に帝国大学の野呂景義という方が「日本の風土と入手可能な鉄に適した」新技術=日本製へと進化させたことが何よりも大きいのではないか、と思うんです(後にさらなる不具合がでるものの、弟子たちにより洗練されていきます)。
彼らが苦心を重ねたうえ成果を挙げた場所、また近代の鉄産業の躍進の発祥地は「八幡製鉄所」。 後の新日本製鉄です。
日本人の「物作り」の精神を伝承することが本当にこのシリーズの意図であるならば、取り上げるべきはもっともっとあります。 朝鮮の自慰につきあう必要は、皆無です。
お初かな?
>砂鉄から低温製鋼法によりいきなり純度の高い玉鋼(本当に錆びない銀色に輝く鉄です)と言う良質な鉄鋼が出来るので、現代の言葉で銑鉄製造や製鋼
と分類してみても余り意味は無いのですが。
そんな事は、無いでしょう。原理は一緒ですから、タタラでも木炭と砂鉄を交互に入れるでしょ高炉も同じです。鞴の代わりに送風機があるだけです。
それと、タタラで出来るのはケラではなかったかな?之をズクと鋼に分ける。上級の物が玉鋼。昔は転炉で調整するなんて出来なかったから
経験的に炭素の量を知る方法として破砕をしたのでしょう。還元率の調整が鉱石の質によるのは現在も同じで秤量器の調整は重要で製鉄所ではよくやってると思いますよ。
タタラは木炭と砂鉄の重量比で投入されてる筈です。たしか中国東北部でタタラ跡が出てて「古代高麗の地ニダ」とか主張してたはず。
正倉院の刀は、焼入れ無しの物も有るそうで。原始的なタタラ吹きは伝わったのでしょうが発展したのは必然でしょう加工技術などは日本で発達した物です。
詳しくは「金属と日本人の歴史」を見てください。(講談社学術文庫)
前略・・・要するに奈良朝時代に入る前は大陸の工藝が我国固成の工藝に接木せられ、わが民族の温床に移植せられた時代と見るべきである。
(日本工業史 南種康博著-70年ぐらい前の本)ま枯れてしまうか、より良いものに成るかは土台しだいて事か。
ヒッタイトからインドにも伝わってるし南方ルートの可能性もあるんでなかろうか?そうそう(うる覚え)「ほんとうは怖い万葉集」て本見ましたよ本屋で。
(ハングルで解読するw
>ポスコが1年で150万トンの生産が可能な世界最初のファイネックス工場を完成させ生産に入った。(朝鮮日報
面白い事思いついたw
鉄器を発明したのはヒッタイトであり、イランやインド中国などを経由して韓国から日本に伝わったにしても、韓国が教えてやったというのはおかしいんじゃないか。
この理屈でいえば、鉄道を発明したのは英国だが日本を経由して韓国に伝えたのだから、日本が鉄道を教えてやったことになる。
電信、電話、発電所、車、近代科学のすべては日本が教えたことになるが、韓国の教科書にはそういう理屈で書かれているのだろうか?
鉄は中国やヒッタイトから教えてもらったと韓国の教科書は書いている上で、日本に教えてやったと書いているのだろうか?
それとも他国からの技術の伝達は無視し、伝えたことのみ教えてやったと偉そうに書いているのだろうか。
>どぐうさんへ
近代製鉄
鉄鉱石→銑鉄→鋼鉄
古式製鉄
鉄鉱石→鋼鉄
ずく、その他低品位鉄(回収不能)
で、近代製鉄のほうが圧倒的に鉄鉱石から鋼鉄への収率がよろしい。
と理解していたのでこう言ったのだが、違ったかな?
いずれにせよ、本家本元を自称する国の方の産業がチンケなものだから説得力はないわね。fetiaさんの言うように技術は半島を通り過ぎた、ですね。
アッ、それとイラン産干しイチジク、私も日本に居た時食べてました。来週帰るので買って帰ろう。
たたら製鉄を研究している者ですが、笑わせてもらっては困りますなw。日本でのみ鉄の昇華が行われたという不思議もとい必然性。日本の先人ならではですな。
スレ違い失礼します。
http://hinomaru.iza.ne.jp/blog/entry/180351/
で見たのですが、
韓国語に「アッサリ」って言葉があるんでしょうか?(元日本語とのこと)。
日韓チャットでお聞きしてみたいです。
なるほど
>で、近代製鉄のほうが圧倒的に鉄鉱石から鋼鉄への収率がよろしい。
と理解していたのでこう言ったのだが、違ったかな?
確かに、そうですが古代には精錬行程が有りませんね。歩留まりが悪いのは仕方がありませんと結う事です。それと近代は輸入材で粗鉱で50%前後の含有率なので素材の方も選べます。異議を唱えているのではなくて同意してるのですが。
出雲の砂鉄は硫黄分と燐が少なく当時は最適の素材だったようです。四国の海部でも刀の素材として使ってますね。
で銑鉄、銑鋼ですが現場では溶洗を指す場合が多いはずです。脱硫、脱炭をへて製鋼工場で調整し、現在では連鋳機で鋳出してスラブにし圧延行程で製品にしています。
別に他意はございません
あん!間違えた
溶銑でした。えイラン tondekita さん
お気おつけてお帰りを「まだ、安全ですよね?」
>あら座様
興味深いです。
しかし日本のあっさりの精神はものの見事に朝鮮には浸透しなかったようですね・・・
”こちらの観念は通用しない” ―その辺りをしっかりと見極めて日本政府にも現実を見据えた厳しい対応というものを考えていただきたいものです。
30年前
話は又聞きなのではっきりしませんが、30年前に韓国の有名な評論家か大学の先生かの娘さん(これもちょっと有名な人)が、ウリマルで一番好きな言葉は何か、と言うアンケートに「アサリ」が好きだと答えてしまったことがあります。
もちろんさんざん叩かれてしまいましたが。
今は知りませんが韓国人の中ではよく使っていたようです。