ブックレビュー「植民地朝鮮の日本人」
- 2007.
- 06.
- 27
- (Wed)
- 09:00
全体的な基調は「日本人は、朝鮮で何ひとつ良いことをしなかった」というものです(P.131 L.15〜P.132 L.1「ところで、「日本は朝鮮で悪いこともしたが、良いこともした。その一つは植林である」と信じている人は多い。しかし、植林をしたのは、より多くの森林資源を収奪するためであり、朝鮮の山を緑にすることを目的にしたものではなかったことを忘れてはならない。」)が、280冊に及ぶ参考文献を元に書かれており、その意図するところはともかくとして、資料的にはなかなか価値あるものだと感じました。
この本には朝鮮における日本人の様々な言動が取り上げられております。その中には朝鮮で無法無体なことをした日本人も少なくなかったことが書かれておりますが、私はこれを否定しません。
現在ですら、法治国家とはお世辞でしか言えない彼の地です。当時は法など薬にする程度にしかなかったでしょう。そんな朝鮮へ好き好んで行くような日本人が、清廉な人々だけである方が不思議です。おそらくは日本本土で食い詰めた者や未開の地で一発当てようとたくらむ山師、官憲に追われて朝鮮に逃げたアウトローが少なくなかっただろうことは当然でしょう。
むしろ、この本に登場する「そんな朝鮮へ好き好んで」行っていながら、日本人として誠実に朝鮮人に接した人々が、意外に多いということの方に私は注目したいと思います。
もし私が、当時の朝鮮へ何かの間違いで行く羽目になれば、きっとこの本で非難されている「横柄で倣岸不遜な日本人」であっただろうなと思います。この本では「朝鮮人は殴らないと言うことを聞かない」と放言する日本人の姿を取り上げておりますが、日韓チャットで韓国人と接している私としては、まったくその通りだと思うからです。
例えば、P.152 L.3〜6 「しがない卵売りの朝鮮人を数人で取り巻いて、見つからないように桶から卵を盗ってしまうというようなことをやっていた。当初はそれを「かわいそう」と思っていた福山兵市も、じきに「ああ、こいつらは馬鹿だ。下等だ。こいつらには徹底的やっていいんだ」と思うようになった。」と書かれています。
しがない卵売りから卵を盗むことは、その相手が朝鮮人であろうがなかろうが、もちろん褒められたことではありません。それを見て「かわいそう」と思う心情の方に、たいていの日本人は共感するでしょう。
ところが、ここに登場する日本人の意識は「かわいそう」からやがて「ああ、こいつらは馬鹿だ。下等だ。こいつらには徹底的やっていいんだ」と変遷します。それは何故でしょうか。朝鮮に住まううちに、他の横柄で倣岸不遜な日本人に影響されてサディスティックな支配者意識に目覚めたからでしょうか。
それも皆無ではないかもしれません。しかしそれよりももっと大きな理由は、朝鮮人の度し難い愚昧さと、無意味な反抗だろうと思います。
日韓チャットでもそうですし、弊ブログにしてもそうなのですが、韓国人と接する日本人の、韓国人に対する非難や批判や忠告は、もし韓国人がそれを受け入れれば、韓国人の利になることは多いと思います。もちろん、純粋に韓国人の利になることだけを考えて言うわけはありません。日本人にとっても有益で、韓国人にとっても損は無いということを言うに決まっています。
しかし韓国人は、例え損をすることになっても、日本人の言うことに対しては第一次反抗期の幼児のごとくひたすら「イヤ」「ダメ」「バカ」「キライ」を繰り返します。
韓国人がいっぱしのことを言うので、実際にやらせてみたらグダグダだったなんてことは前回のチャットログや李寧煕のモノ騙りを見ればおわかりいただけるように、普通にお約束です。そのグダグダを日本人が追及したり非難したりすれば、責任転嫁に逆恨みに無関係な日本批判の嵐。そんなことが日常茶飯に行われれば、たいていの日本人は「ああ、こいつらは馬鹿だ。下等だ。こいつらには徹底的やっていいんだ」どころか、「こいつらには徹底的にやってやらねばわからないんだ」と思うようになるのが自然です。当時、それでもなお、朝鮮人を信頼し擁護した日本人がいたことの方を評価するべきでしょう。
この本のスタンスは、とにかく「日本は朝鮮で悪いことばかりしたの!チョッパリは反省して謝罪しる!」というものですが、文献資料は比較的正確に引用されているように感じました。
例えば朝鮮人の強制連行に関する記述も、朴慶植の「朝鮮人強制連行の記録」に引用された鎌田沢一郎「朝鮮新話」の一節、「納得の上で応募させていたのでは、その予定数に仲々達しない。そこで、群とか面(村)とかの労務係が深夜や早暁、突如男子のある家の寝込みを襲い、或いは田畑で働いている最中に、トラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して、北海道や九州の炭鉱へ送り込み、その責を果たすという乱暴なことをした。」という記述ですが、この末尾「但、総督がそれまで実行せよと命じたわけではないが、上司の鼻息を窺う朝鮮出身の末端の官吏や公吏がやってのけたのである」までを正しく引用している点は評価されるべきでしょう。もっとも、本書ではこれを「乱暴な振る舞いを告発したのはよいが、責任は朝鮮人に転嫁している」と評していますが。
さらに朝鮮人が行なった蛮行は穏便に記し、日本人が行なった蛮行は過大に記すという印象操作も怠りなく行われております。それに惑わされず、資料を資料としてきちんと読み解くことが出来れば、この本は膨大な資料に基づいてまとめられておりますので、非常に便利な本ではあります。
なおこの本の目的は、「日本の植民地支配の特色を実証的に明らかにすること」「在朝日本人の言動を描き出して、彼らが日本の朝鮮政策や日本人の朝鮮観に与えた影響を探ること」「在朝日本人の振る舞いが、朝鮮人の目にどのように映っていたかを考えること」であり、最終的には「わたしたちが、祖父母や父母の体験を客観化することで、過ちを二度と繰り返さないための担保を獲得すること」とされております。
ここに掲げられている「過ち」が、「朝鮮なんぞに関わりあった愚」という意味で、それを二度と繰り返さないことが「最終的な目的」であると言う主張であるならば、私はこれについては諸手を挙げて賛成するものであります。
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