韓国人は情が厚いと思っている方へ。
呉善花さん 母の葬儀で“帰国”拒否される 2007.10.9 16:54 『スカートの風』や『韓国併合への道』など日韓に関する多くの著書で知られる韓国人女性評論家、呉善花さん=拓殖大学教授=が先ごろ、済州島在住の母の葬儀で帰国しようとしたところ、済州空港で一時、入国を拒否されるということがあった。理由は日本での「反韓国的な活動」で韓国当局から入国禁止措置が出ているためという。 しかし呉さんは日本に帰化し日本国籍になっていたため、日本の済州総領事館に依頼し韓国当局と交渉した結果、「人道的配慮」としてやっと“帰国”を認められた。 関係筋によると、呉さんは1日、済州空港の入管検査でいったん入国を拒否され、日本への帰国便を指定され数時間、空港内で足止めされたという。 呉さんは済州島出身で1980年代以来、留学などで日本に在住し著作活動を続けているが、韓国に対する厳しい批判が多いことから韓国ではマスコミなどで終始、非難の対象になってきた。(ソウル 黒田勝弘) |
日本と韓国の違いを表すものに、「孝」と「忠」に対する優先順位の違いがしばしばあげられます。
儒教には「仁義八行」と呼ばれるものがあります。これは「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」の八つの徳目で、日本では南総里見八犬伝という物語に取り入れられ、人口に広く膾炙しております。
この「仁義八行」中の「孝」と「忠」に対する優先順位が日本と韓国では異なり、日本では通常、「忠」は「孝」に優先しますが、逆に韓国(朝鮮)では「孝」が「忠」に優先します。
日本では、「忠」は自分ひとりのことではなく、自分が仕え、属し、盛り立てて行かねばならない集団に対する責任です。これに対して「孝」は自分ひとりの私事であるので、どちらかを選ばなければならない時は「忠」を優先するべきと考えました。
朝鮮においては、「孝」は自分を生んでくれた親に対する分かち難い血肉に由来する愛慕の念であって、「忠」はたとえ主君であっても血のつながりもない他人とのことであるから、どちらかを選ばなければならないのであれば、当然に「孝」が「忠」に優先すると考えたようです。
これのどちらが良いとか悪いとかは、申しません。とにかく韓国では、「孝」はあらゆる事情に優先することは常識であり、良識とされていることが事実なのです。
実際、日韓チャットでも、本人を叱るよりも、親を引き合いに出す方が効くことがしばしばありました。
あまりに無礼な言動を繰り返す韓国子供に「お前の父親は、お前に最低限の礼儀も教えなかった馬鹿者か」とか、「お前は、お前の父親が、自分の子供に最低限の礼儀も教えられない馬鹿だと宣伝してまわっているのか」と言うと、それまで得意になって私たち日本人を罵っていた韓国子供が途端に血相を変えて「他人の親の悪口を言うなんて!!」と私に発言の撤回を迫ったりしたものです。
さて、この「韓国では、「孝」はあらゆる事情に優先する」という前提に基づいて前述のニュースを見れば、「親の葬式に参列するために渡韓した人物を、その言論活動を理由に入国拒否する」という行為が、韓国的にどれほど酷い嫌がらせになるかをご理解いただけると思います。
子が親の葬式に参列することは、韓国ではほぼあらゆる事情に優先します。韓国人に本当の「情」というものがあるならば、どんなに呉善花氏が気に入らなくても、黙って入国させるのが本当でしょう。
このニュースから伺えるのは、韓国人に「情」など無いということと、韓国人の後先を考えない短慮さです。
もし韓国が、呉善花氏の入国に際し「あなたは常々ウリナラを誹謗してきた。本来であれば、韓国にとって好ましからざる人物であるゆえに、ウリナラはあなたの入国を認めない決定をしておる。しかし今回は事情が事情であるによって、特別に情けをかけて入国を認めてやるから感謝しる」とでも言えば、それがどれほど倣岸不遜な物言いであったとしても、呉善花氏は「やはり韓国は、なんだかんだ言っても情のある国だな」と思ったでしょう。
しかし今回のこの措置によって、韓国は真に情のない国と民族であることを露呈し、かつ「韓国評論家」である呉善花氏に批判の種を与えてしまったことになります。これでは呉善花氏は、同じ「やはり韓国は」でも、「やはり韓国はダメだ」という結論に至らざるを得ません。
「韓国人の良いところは?」と尋ねれば、返ってくる答えとしてはほぼ唯一と言って良い「情が厚い」という回答も、やはり上っ面だけの薄っぺらであることが、今回のニュースで明らかになったと思います。
「韓国人は人懐っこくて情が厚いんだよ」と思っている親韓さん擁韓さんは大変多うございます。そういう方々におかれましては、韓国人とのお付き合いはメッキが剥がれない程度にとどめておかれるか、メッキが剥がれる前にお付き合いをやめるかになさいますよう、衷心よりご忠告申し上げます。
韓国人が、情という名前の梯子をいきなり外すような真似をするのは、まったく珍しくありませんので。
コメント
あなたは「情」というものをいささか狭く定義してるんではないんでしょうか?
呉なる不届き千万な売女の入国を拒否するのもこれまた本当の「情」なんでしょう。
日本の左翼が韓国と相性がいいのも感情優先で論理を無視するという彼らの思考、行動パターンが似通ってるからでしょう。
例えば左翼が拉致被害者に対する憎悪や不快感を抑えきれないのもそれは連中には「情」がないからではなく、日本に対する憎悪という「情」が優先して「犯罪被害者の可愛そうなじいさんばあさんに冷たくすんのはやばかろう」という打算に先行するからです。
きっと、当事者間の本当の意味での「情」ではなく、かの国の「情」とは、第三者に向けてアピールするための「情」なんでしょう。
呉善花氏の場合、国民を挙げて「情をかけるに値せず」の認定を受けた様なものですから、大人らしく情をかけても、為政者や行政当局者には何のメリットも存在せず、むしろ入国拒否をすることで愛国者としてアピール出来るメリットがあるのでしょう。
>呉なる不届き千万な売女
あなたのお父さんはこんな汚い言葉を、人前で口にするような子どもに育てたのですか?
日本語の「情」の意味
日本語の「情」という語は下に示しますが
複数の意味を持ちます。
では、「情が厚い」の場合は、
下のどの意味なのでしょうか?
1であれば、分全体の意味が、
感情の起伏が激しいことになり、
(確かに韓国人はそうかもしれませんが)
長所とは言いにくいと思います。
私はやはり3番だと思います。
他社に対する思いやりある人というのは、
長所であり、ほめ言葉です。
しかし、fetiaさんが今回おっしゃっているように、
↑を読むとそれは疑わしいです。
さて、日本人として常識的な言語能力を持っていれば
このようなことは言わずもがななのですが、
このようなことを言うというのは、
なっと氏が確信犯なのか、それとも、
日本人として常識的な言語能力を
お持ちでない=日本人でない方なのかと
疑わざるを得ません。
(1)何かを見たり聞いたりして起きる心の動き。
「好悪の―」「憐憫(れんびん)の―」「―が激する」
(2)人が本来もっている性質。
「―がこまやかな人」
(3)他人を気の毒だと思う気持ち。思いやり。なさけ。
「―にうたれる」「―において忍びない」
(4)特定の異性を愛する心。恋情。
「―が濃い」「―を交わす」
(5)実際のようす。ありさま。
「―を明かす」
(6)我(が)。意地。頑固。[日葡]
追記
なっと氏のおっしゃる「情」があきらかに
1番の意味である旨
追記させていただきます。
かの国の人に「親の顔が見てみたい」
は禁句ですか?
普通、「情が厚い」の“情”には、憎しみはふくまれませんよ。
日本語がネイティブの人なら感覚でわかります。
情の薄い民族だと思います。
韓国ではなく北朝鮮ですが(同じですよね?)、妻子を人質に取られても亡命するし、さっさとと再婚するし、自分の為に身内がひどい目にあってる可能性は考えないみたい。。
女の子5人位の脱北者のグループアイドルでも、売り出すために本名経歴を公表したし。
「残してきた家族、友人に迷惑がかかるかもしれないから…」と配慮して非公開は一人だけ。
本当に情が薄い。
日本人拉致被害者なんか、北で付き合いのあった人に迷惑がかかるといけないと、必要最小限の情報しか出していません。
マジ民度の違いを感じます。
名無櫓さんの言われた、
「第三者に向けてのアピールするための情」
という定義がピッタシかと。
彼ら、「いい人」なんじゃなくて、
「ほら、ボクってこんなにいい人でしょ!?」
と言いたい、言うことが好きなんですよ。
だから、言う必要の無い相手、言う必要が無くなった場合、手の平返しは当たり前。
とゆーより、本人達は手の平返してると言う自覚すらないんじゃないかな?
でも、私は管理人様と違って、韓国大好きなんて言ってる人達は、1度ちょっとこの手の平返しを味わった方がいいのでは、と思いますね。それこそ、取り返しのつかないようなことになる前に。
私も案外冷血漢なんですかね?!
正にああ・・遠くへ行きたい(国レベル)
管理人様、並びに在籍していた常連の皆様、
昨日(から今日にかけて)は有難うございました。
とても楽しいひとときでした。
タイピングが遅いので、ちょっと必死だったことは内緒です。
勢いで又お邪魔してしまうかもしれません。
その際は、あしらう程度でも構って
頂けたら嬉しゅうございます。
>「第三者に向けてのアピールするための情」
ぼくもこの定義に一票。
少なくともこの定義が一番彼らの情の”役割”を説明しているように思います。
備わっている精神と言うよりポーズとか記号の類。
「泣き女」にしろ、「整形」や「学歴」にしろ、「実際にどうであるか」より「人からどう見えるか、どうアピールするか」の方が大事なことみたいですね。
日本では外見は「人並み・人に迷惑をかけない」が基本で、「実・内容」を言及する気がする。
それ自体は文化の違いだろうから、別にいいのですが・・・
(日本国内の結婚式・花嫁行列などの違いを見てもそれは文化の違いだと思うし。)
文化背景が違えば、同じ単語が表す内容は異なるのだという事を、しっかりと心にとどめて、被害にあわないように自衛するのは必要だと思いますね。
私は「第三者に向けてのアピールするための情」なんて言う上等なものすらないと思いますよ。
朝鮮人て言うのは本当に精神が子供で
ただただ自分の感情の赴くままに気ままに生きてるだけなんだと思います。
>「実際にどうであるか」より「人からどう見えるか、どうアピールするか」の方が大事なことみたいですね。
ところがこれに見事に嵌ったのが、「アホでマヌケなアメリカ白人」
韓国の情って、自分の感情でしょう。
在日は日本にしがみつく
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200710160048.html
住民側は地権者の「西日本殖産」(大阪市)から、地区の東半分(約1万500平方メートル)を5億円で買収。費用は韓国政府が支援する予定の30億ウォン(約3億8千万円)と韓国の支援団体の募金約5億ウォン(約6400万円)を充て、不足分はさらに募金をするという。
韓国人は政府が3億8千万円も在日に供出することをどう思ってるのでしょうか。意見をきいてください。こんなに資金援助するなら韓国に引き取れといいたい。さっさと祖国に帰れ。日本は迷惑だ。
非情なまでに情が厚いのでは?
日本人でも優秀であったり、有名であったりすれば直ちに在日認定。反対に、ロス暴動や銃乱射事件など、犯罪者が同胞であることが明らかな場合、「アイ・アム・ザパニージュ」。在日の犯罪者は通名で報道すべきなどと主張したりします。
連中の習性を考えると、呉善花女史の報道を聞いても今さら驚きません。日本に帰化していてよかったかも知れませんね。そうでなければ逮捕されていたのではないでしょうか。そう言えば、韓国を批判するような本を書く人間は韓国人であるはずがない、きっと日本人が韓国人の名を騙っているに違いない、などと言われていた時期がありましたね。
自分たちにとって都合の悪いものを徹底的に憎悪・排除し、自分たちが人より上に立てるときには、たとえそれが自分たちの力によるものかどうかに関係なく、馬鹿みたいに、と言うよりは馬鹿そのものになって喜ぶ。そのエネルギーたるや日本人、いや世界中を唖然たらしめるほど圧倒的なものがあります。そういうエネルギーを「情」と言うのであれば、連中は非情なまでに情に厚いと言えるのではないでしょうか。
情が「厚い」じゃなくて情が「篤い」ですよ・・・
「情が厚い」で正解ですよ。
「篤」にはそれだけで「真心がこもっている」な意味があるので、「情が篤い」じゃ重複と言うか暑苦しい。
「篤」の字を使いたいなら、「情が」を取って「篤い」だけでオケ。
「仁義八行」についてのお伺い
いつも楽しく拝見させていただいております。
「仁義八行」について少々お伺いしたいのですが。。。
文中『日本では通常、「忠」は「孝」に優先しますが、逆に韓国(朝鮮)では「孝」が「忠」に優先します 』とありましたが、韓国社会における「仁義八行」の「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」の価値観には優先順位みたいのはついていないのでしょうか?
上記の言説だと、「孝<忠」と解釈できますが、私は「孝<義」とも考えられるのではないかと思いました。
すなわち、「孝<義」ととらえると、まんざら呉善花女史が入国拒否された事例、つまり、「韓国人の面汚し」的な考えの下で、孝の理論より、「韓国を守る」という義(大儀とも言えるのかな?)の理論によって「孝<義」と解釈でき、ひいては『「孝」は自分を生んでくれた親に対する分かち難い血肉に由来する愛慕の念(孝)』より「韓国の面汚しを懲らしめる」という「義(大儀)」が勝る現象が起こるとも考えられないでしょうか?
よって、私は「韓国人には情がない」という言説が成り立ち得ない立場を取ります。
ご意見伺わせて頂けましたら幸いです。
>コーヒーゼリー さん
おそらく、記事の読み方が間違っているのかと思います。
「孝・忠の比較」はあくまで日韓間での価値観の比較を示したものであって
「 自 身 を 省みたときに」「公共よりも個人的な情を優先する」韓国において
「呉氏(他人)の」「母親の葬儀のための入国を拒否する」という韓国の態度が
本当の意味での「情」に欠けているのではないか、ということです。
このことにおいて、仁義八行の順位は重要ではありません。
また、「母親の葬儀のために正式な手続きで渡韓しようと」した
呉氏が韓国にとってどのような害悪になるのかがわかりませんし、
その入国を拒否することに大儀がある、とも考えられません。
なので、私はコーヒーゼリーさんの意見は少々無理があるかな、と思います。
再びのお伺い
とびんさま
早速のお返事大変にありがとうございます。早速ですが、以下にとびんさんのお話の中で分からないところがありましたのでお伺いしたく再び投稿させて頂きました。
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>コーヒーゼリー さん
おそらく、記事の読み方が間違っているのかと思います。
「孝・忠の比較」はあくまで日韓間での価値観の比較を示したものであって
「 自 身 を 省みたときに」「公共よりも個人的な情を優先する」韓国において
「呉氏(他人)の」「母親の葬儀のための入国を拒否する」という韓国の態度が
本当の意味での「情」に欠けているのではないか、ということです。
このことにおいて、仁義八行の順位は重要ではありません。
また、「母親の葬儀のために正式な手続きで渡韓しようと」した
呉氏が韓国にとってどのような害悪になるのかがわかりませんし、
その入国を拒否することに大儀がある、とも考えられません。
なので、私はコーヒーゼリーさんの意見は少々無理があるかな、と思います。
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という内容ですが。。。
とびんさんの言説中にある『本当の意味での「情」』とはどのようなことをさすのでしょうか?
私が引っかかる点は。。。「何をもって“本当の意味”での『情』とするか?」という点です。これこそ日韓両国における「価値観の相違」だと思うのですが。。。如何でしょうか?
>本当の意味での「情」
これも、エントリー中に読み取れるものだとは思いますが
記事の例について自分の言葉で説明してみれば
「自分の親が大事ならば、他人の親を想う気持ちも同じだけ尊重できる」
ということになるでしょうか。
このことが日韓の価値観の相違であり、
韓国ではあくまで己の都合だけ、感情だけ優先なのが「情」なのだ
気に入らない相手の都合は関係ない、というならそれでも構わないのです。
ただし日本で、日本語で語り合う上では少なくとも
そのような韓国人の様子は「情」が薄いと言わざるを得ないでしょうね。
自分の親が大事ならば。。。
度々すみません。
とびんさんの説、『自分の親が大事ならば、他人の親を想う気持ちも同じだけ尊重できる』が、=『本当の意味での情』ですと、「自分の親への『孝』」と「他人の親を想う気持ちとしての『義』」の混同とも解釈されるのではないでしょうか?
つまり。。。本文中、筆者は『孝』について、『「孝」は自分を生んでくれた親に対する分かち難い血肉に由来する愛慕の念』と定義しています。
すなわち、『孝』とは自分を産んでくれた人に対する個人の範囲にのみ通用する価値基準であり、ここで『孝』の一般化を行うのであれば、それは『義』という社会全体に対する道徳志向性をさすことになってしまいます。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
自分の親が大事ならば、
↓
『孝』
他人の親を想う気持ちも同じだけ尊重できる
↓
『義』
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
この個人志向の『孝』と、社会全体に対する道徳志向の『義』との混同こそ、韓国人の『情』がどこを志向しているのかという方向性を見極めるうえで重要なのではと思うのですが。。。如何でしょうか?
また本文中には『孝』と『忠』という縦軸の人間関係において「他人の親」の話は出てきていますが、個人としての『孝』に対する横軸の広がりとして「他人の親」云々の話は出てきていません。
くどいようですが、合わせてご意見頂けましたら幸いです。
まず、仁義八行の順位は問題ではないこと
また仮に大義というものがあるとしても前提が成り立たないこと
ここについては理解していただけたという事でよろしいですか?
その上で、情というものについての解釈の話でしょうか。
情に厚いということは、他人を思いやる心を持っているということだと思います。
解釈を振りまわす必要もないですし、孝の一般化とかいう必要はありません。
ただそれだけのことです。
普段、いくら自身の親や身内を大切にしているのだ、と言っていても
今回の「呉氏の、母親を大切にする気持ち」(まして、葬儀への参列です)を
無視した韓国の対応をみれば、独りよがりで場当たり的な、情の感じられない対応だ
と言えるということです。
エントリーから十分読み取れるものだと思いますが、どうでしょうか。
逆に私は、貴方のおっしゃっている「義」について、よくわかりません。
とびんさま
お返事ありがとうございます。
とびんさんとの語らいが楽しく思う今日この頃です。
>まず、仁義八行の順位は問題ではないことまた仮に大義というものがあるとしても前提が成り立たないことここについては理解していただけたという事でよろしいですか?
上記の点は本題の「情の有無」という論題から脱線してしまうかもしれない恐れがあったので触れませんでしたが、当方としては腑に落ちない点はございます。
①「仁義八行の順位は問題ではないこと」についてですが。。。本文中、無礼な発言をする本人よりも親を叱る、という言説からも、「自分自身<孝」という優劣がつけられています。また本文中には『韓国(朝鮮)では「孝」が「忠」に優先します』と明記されています。よって明らかに順位は存在するのですが、その点にはとびんさんもご異存ないかと思われます。
しかし、問題は「順位は関係ない」というご主張についてです。私はその点はクエスチョンです。何故かというと。。。上記の点からも、私の問いである「仁義八行の順位の有無」に関しては、“すべてがランク付けされている訳ではない(もしくは全部はわからない)けど、明らかに順位は存在し、その順位(もしくは優劣や先後)があるが故に『「孝」が「忠」に優先』するという現象が起こりえる”としなければ話が通じないからです。
よってとびんさんの意見には同意しかねます。
②次に、「仮に大義というものがあるとしても前提が成り立たないこと」という点についてですが。。。これは意味がよくわかりません。『前提』とは何を持って『前提』とするのでしょうか?ご教授願います。
③最後に、『情に厚いということは、他人を思いやる心を持っているということだと思います。解釈を振りまわす必要もないですし、孝の一般化とかいう必要はありません。ただそれだけのことです』ととびんさんはおっしゃいますが、『他人を思いやる心』の及ぶ範疇をご自身で措定されていらっしゃると思いました。
とびんさんのコメントを伺っていますと、日本式の『情』と、韓国式の『情』を混同して解釈されているような気がしましたが。。。如何でしょう?
韓国の『情』とは個人的な人間関係と同族意識を明確にするために、すなわち「ウチ」と「ソト」の関係性をハッキリさせるために発揮されます。
呉善花女史を例に挙げますと、女史は本文中の言葉を借りるならば、『ウリナラを誹謗してきた』『韓国にとって好ましからざる人物』ですので、「ソト」の人間です。しかも彼女は日本に帰化しています。よって、もはや同属ではない彼女は韓国人の『情』を発揮するべき対象ではないのです。
故に『独りよがりで場当たり的な、情の感じられない対応』だととびんさんが感じたのは『情』がないからではなく、“韓国式の”『情』が効力を発揮しなかったからだと思います。
とびんさんのご指摘のように、『孝の一般化』は必要ないかもしれませんが、国が違えば考え方も違うという線引きは必ず必要です。
長くなりましたが、以上の3点について反論およびご質問させて頂きたく思います。
お暇なときで結構ですので、またご返答頂けましたら幸いです。
PS:ご質問の件、『貴方のおっしゃっている「義」について、よくわかりません』という点について答えさせて頂きます。
『義』とは人として守るべき正しい道をいいます。道義ともいうように、道徳志向性を伴った考え方をいいます。
一般に韓国社会では儒教思想の影響もあってか、この道徳思考的な『義』と、作聖思想中における『理』の追求とが相まって強烈な上昇志向性を発揮します。私文中にある『義』とは、これらの思想の発露として、『大儀』に昇華され、普遍的な道徳志向性の表れとして、『ウリナラを誹謗してきた』『韓国にとって好ましからざる人物』である呉善花女史に向けられたと私は解釈しました。
楽しいといわれると、照れますね ^-^
私もちょっとそうかなw
まず、仁義八行について。
エントリーの中での引用は、「忠」と「孝」の優先順位の違いから日韓の感覚の違いを
述べられたもので、全体の順位や意義を考えても、反論として意味がないということです。
また、仮に「義」というものが考えられるとしても、
今回の呉氏に対する入国拒否には大義を見出せないと考えています。
呉氏は、犯罪者でもなんでもない、まして反社会的な意図で入国しようとしたわけでもありません。
彼女は批評家で、たまたま韓国民の気に入らないであろう主張をしているにすぎない外国人です。
その人物を排除することに、なんの大義もないと思います。
ただ、情についてもそうですが、おっしゃられているように大義についても
「国が違えば考え方も違うという」というものであるならば
それらを韓国に押し付けるつもりはありません。
それが日韓の価値観の相違であり、韓国ではあくまで身内の都合だけ、己の感情だけ優先なのが
「情」なのだ、気に入らない相手の都合は関係ないというならそれでも構わないのです。
ただし、日本で語り合う上では少なくともそのような韓国人の様子は「情」が薄いと言わざるを
得ないでしょうね。
ともう一度、繰り返します。
ちなみに仁義八行、「仁が最高の徳」とされているようなのでおそらく
通常、順位はその並び順のとおりになっているのではないかと思います。
情<国益 では?
国の方針に情などないでしょう。入国拒否を情の厚さで議論するのは適切でないと思います。特定の国の国益の追求は、他の国家の物には非情なものですから。
共感能力の欠如
申し訳ない、なんか読んでいてイラッと来ました。
情のあるなしについて、韓国人を弁護しようとして理屈っぽい話をくどくど展開している人に対して。すでに屁理屈の境地ですよ。言いたいことはある程度分かりますが、反論に無理がある。人種を超えた人としての見識を問いたくなる。他の説明はとんびさんが十分しておられるからいわずもがなです。
20年来日本人は義理人情の国、韓国人は情が厚い国と思っていました。(ちなみに私の妻もアメリカ国籍の韓国人です。)
韓国人とはどういうメンタリティを持っている民族なのかよくよく調べてみますと全く違っていたことに気が付きました。遅まきながら・・・これはネットと資料としての本の合わせ技のおかげ。
日本のほうが相手を思いやる心にあふれている人が多いのは間違いない。私はそれを義理でやっているんだと思っている節があったけど、それも違っていた。
結論を先に言うと韓国人は一般的に日本的な意味での情は確実に薄いと思う。それも薄情以上。
(妻はアメリカ生活のほうが長く、アメリカンナイズされてて純韓国人ではないし一概にはいいきれないが)
調べていくといろんな場面でそう感じる。
情の薄さをキーワードにして観察すると韓国社会全体がありとあらゆる偏見に凝り固まった出来事と結びつく。
まず犬や猫などのペットはアメリカや日本みたいに家族のような扱いはしないし。
生き物というよりか”物”扱いです。猫は忌み嫌われ、犬なんか家畜扱いですから。まあ、これは序の口。
嘘つきが多いのも、裁判沙汰が多いのも、強姦が多いのも、歴史捏造が多いのも、偏見に凝り固まった他人への共感能力の決定的欠如の成せる業。
つまりみんな情が厚かったらできないことなんです。
韓国は儒教の国という。親思いだという。じゃあ親からもらった大切な体にメスを入れて整形する人間が多いのはなぜですか?
情がないといえば極めつけは反日政策にすべて表れている。津波の被疑者たちに向かって「おめでとうございます」なんて皮肉を堂々と言えることが情のなさを如実に物語ってる。またそれを諌める風潮もない。以下同文がマジョリティだからでしょ?日本に対して原爆は神の天罰と言い放った記者もいた。記事を記載した新聞社は個人の意見に過ぎないと弁解するし。こんなエピソードはこの国には腐るほどある。要するに共感能力に乏しい自己中心的民族が韓国人の証拠。
そもそも情が厚いならなぜ母国を離れて外国に移住したがるのでしょうか?
私の妻は母親がアメリカで亡くなりましたが、墓参りに行ったことは一度もありません。行きたいと言ったこともない。しかたないから私が子供を連れてたまに行きます。生前に仲は悪くなかったですけどね。