韓国人が酷い悪口を言う理由
新酋長就任に絡んで、韓国側は、【★韓国大統領府「天皇から祝賀メッセージがきた。非常に異例だ」 → 日本政府筋「いや毎回送ってるはず」】と、律儀に私たちにネタの提供をやってくださっておりますが、新酋長就任一発目のギャグにしては、少々インパクトが足らないと思います。やはりコメディアンとしての資質は、盧武鉉の方が上でした。本当に惜しい人を亡くしました。
さて、話は全然変わりますが、ちょっと前に韓国人から、韓国人が口喧嘩で相手を徹底的に罵るのは何故かという話を聞きました。
日本人の場合、あまりに汚い罵倒語は、言われた相手が怒るより先に、それを言った本人の人格が貶められることになります。ですから、日本人はあまり直接的な罵倒語を言いません。「お前の母ちゃんデベソ」という、子供が使う悪口としては有名なフレーズも、実際に使ったことのある人はそんなに多くないでしょう。
その点、韓国人の悪口は、おそらく世界一であろうと言われるほどに、実に多様で強烈です。昔、韓国人に「これが最強の悪口だ」と教えてもらったフレーズがあります。これを相手に言えば、相手は一発で火病るだろうというフレーズだそうです。日本語に翻訳すると「この汚い娼婦みたいな女(日本語では、相手を罵る時、相手が女性でも「この野郎!」と言うことが多いと思いますが、韓国語の場合は逆で、相手が男性でも「この女!」と言うことが多いように見えます)、お前の母ちゃんのホニャララでもホニャララしろ」(ホニャララの部分は適当にご想像くださいw)というものでした。日本でこんなことを他人に向かって発言したら、こちらの人格が疑われてしまいます。
韓国人に「いくら口喧嘩と言っても、他人にこんな酷い悪口をぶつけるのは何故?相手が自分をどう思うか、考えないの?」と聞いたところ、その韓国人は「自分がどれだけ気分悪い思いをしているかを、相手に徹底的に理解させるためだ」と答えました。
そこで「あなたは、相手があなたに向かってこんな悪口を言えば、相手がどれだけ気分悪い思いをしたかわかるの?」と聞いたところ、その韓国人は「わかる。だから、韓国人同士なら、どんな酷い悪口を言い合っても、後で「気分悪くさせてごめんね」と言えば、それで終わる。でも日本人相手だと終わらない。何故?」と逆に聞かれてしまいました。
「日本人の場合は、口に出した言葉は意味を持つからね」と答えたのですが、果たして上手く意味が伝わったかどうかは自信がありません。
韓国人の場合、自分の感情は他人に十全に理解されて当然だという意識があるようです。だから、悪口そのものにはあまり意味がないのだと、その韓国人は言います。自分がどれほど気分悪い思いをしているのか、どうかそれを理解してくれとすがりつくような思いで悪口を投げつけているようです。
それに対して、日本人の場合は、口喧嘩になっても、あまりに汚い悪口の応酬を行なうことはほぼありません。仮に口喧嘩の最中に、どちらかが理性を失って聞くに堪えない罵詈雑言を喚き散らせば、たいていの場合、相手は辟易して黙り込んでしまうか、話を止めてその場を離れてしまうでしょう。また、いくら腹立ち紛れとは言え、一度口に出した言葉は、謝罪や撤回は出来ても、言った事実を消すことは出来ません。ですから日本人の場合、致命的な悪口を言うのは、言った相手との永遠の絶交を覚悟した場合だけでしょう。
ところが韓国人は、相手に対してどれほど致命的な悪口を言ったとしても、「ごめんね」の一言で「悪口」は綺麗に忘れると言います。少なくとも「忘れるべきだ」と思っているのは間違いないようです。
さらに韓国人は、「悪口を言ったことで、自分の気持ちを相手にわかってもらえた」と考えるらしく、日韓チャットでも、チョッパリだのケッセキだのと散々喚き散らして部屋から出て行った後、ハンドルネームを変えて(変えないこともしばしばです)臆面もなく「こんにちは」と言って入ってくることは珍しくありません。
ここで、「ならば、日本は韓国に何度も謝罪しているのに、韓国人はいつまでも過去を忘れようとしないのだ?」という疑問が浮かぶと思います。これはひとつには「韓国政府が国民に、日本が謝罪したことを伝えていない」ということと、もうひとつには「謝罪したということは、ウリの気持ちを十全に理解したということのはずなのに、チョッパリはウリの気持ちを逆撫でするようなことばかり言う」ということがあると思います。
彼らにとっては、謝罪そのものよりも、おそらくは「ウリの気持ちを十全に理解しる」ということの方が重要なのだと思います。だからいつまでも「謝罪しる」と泣き喚き、口汚く罵るのでしょう。それは、実は日本人の謝罪が欲しいからではありません。彼らはただ単に、日本人に自分の気持ちを100%理解して欲しいだけなのです。
韓国人が「他人の気持ちを100%理解することなど不可能だ」ということに気づかない限り、日本人との理解や友好を成立させることは出来ないでしょう。そんなこと、おそらくは北朝鮮を除く世界中のどの国の人々とであっても、出来ないのではないかと思いますが。
言うまでもなく、日本人が韓国人の「他人の気持ちを100%理解するべきだ」などという考えにあわせるという選択肢は、日本人にとって寸毫の利も見い出せないので、検討の余地すらありません。念の為。
コメント
日本には、「それを言っちゃあ、お終めーよ」というある意味ブレーキ的な考えがあり、理性的な抑止になっていますが、かの国の原住民にはそれが全く欠如しているんですね。
日韓チャットでも多数の朝鮮語の罵倒語を見てきましたし、かの国の原住民が日本人を罵る朝鮮語による罵倒語を実際に聞いて聞き取れるようになりました。
具体的な事例はここでは割愛させて頂きますが、ついさっきまでチャットで罵って部屋長に蹴り出されたにもかかわらず、すぐに何事も無かったがごとく再入室してくるあの神経の図太さにはただただ呆れていましたが、逆にかの国の原住民が、こういう日本人が実際に見たらどう思うのか不思議でなりませんでした。
この様なかの国の原住民の習性はよく目にしますが、不愉快な思いをさせられた日本人がいちいちかの国の原住民に迎合する必要はどこにもありません。かの国の原住民には、「覚醒」には無縁だと確信していますので、永遠に日本人は不愉快な思いをさせられる事なんでしょうね・・・(呆
アメリカ人や中国人にしても悪口を聞いて韓国人の気持ちを理解してくれるんですかね?
韓国の常識は世界の非常識。今日も正常運転。
では日本人が口を極めて罵ったら韓国人が嫌いという気持ちを理解してくれるんですかねぇ。
・・・・韓国人に通じる程の罵り言葉なんぞ思いつきませんけどね。
人間的成熟度もあるでしょうが・・・
何故日本人と韓国人でこうも悪口に対する意識が違うのか。一つの仮説を立てます。
韓国語は表音文字であり、漢字は表意文字である。
つまり漢字はそれ自体が意味を持つため言葉として使う時に相手にイメージを与えることができる。
さらに日本では全てのものに魂が宿る思想があり、言霊と呼ばれる概念があるように言葉を大事にする習性を持つため悪口を躊躇うのでしょう。
しかしハングルは音を表す記号のために単語としては意味を持つものの、そこに存在する悪意を内包しにくい、あるいはできないのでは?
そのため複数の悪口を重ね、表現を凝らし、自分の悪意を伝えようとするのでしょう。
しかし中国や英語圏を考えると、案外日本人の神道精神が大きな要員なだけかもしれませんね。
歴史は続くよどこまでも
なんかハングルが発明されるずっと前から悪口言いまくってるような気もするけどな~。^^;
日本の全てのものに魂が宿る思想も、神道の前(アニミズム)からじゃないかな~。
アマテラスという人格?が出来る前から太陽を拝んでたようだし。農耕民族だからね。
最初は太陽神が男神だったという説や、征服される前の民族は月を信仰していたので、それを取り込んだツクヨミが神道では影が薄いとか、いろんな説があるみたいですね。
キリスト教もあちこちで土着宗教を取り込んでいるようですし、文明や宗教ってのは単独で存在するんじゃなく、流れがあるんですよね。
(土着の地母神信仰を取り込んだ結果、救世主であるはずのイエス様より聖母マリアの方が大事にされている地域とかがあるらしい〉
それにしても・・・母ちゃんに向かって「クソババア!」と言い放っておいて、次のご飯がちゃんと出てくることを微塵も疑わない幼児のような行動〈考えかた)だよな~。
あまりにも長期間、他国の下にいたので、民族自体が幼稚なのかな?
日本にも「以心伝心」という文化がありましたが、それは日本人同士以外では有意でも有効でもないことを学び、対外的には成長してきているってのに。
でも、もっとはっきり言った方がいいと思うけど>日本
アメリカ人のマザーファッカーやらなんやらも相当汚いよね。 良く考えると。
言霊に縛られる日本人がちょっと上品なだけじゃないの。
ハングルに対する素朴な疑問。
大正時代、隊商の大将、大賞とって大勝した。
なんて文章が訳せるのか?この時点でメジャーな対象、対照、対称すら入ってないし。
同音異義語を検証してみました
>名無櫓さんへ
「タイショウ」で変換してみた所、
「大正」「隊商」「大将」「大賞」「大勝」の他、
「対象」「対照」「対称」「大詔」「大笑」「対症」がありました。
エキサイトで翻訳してみた所、「隊商」と「大賞」のハングルが一緒でした。
他にも、「隊商・大賞」と「対象」が一緒で、
「大将」「大勝」「大笑」「対照」「対称」「対症」は、最初のハングル文字が一緒でした。
(『CH』みたいな形)
同音異義語を区別出来ないのに、「優れた言語」なんて笑わせてくれます。
悪口雑言事
かの有名な「御成敗式目」の中に「悪口雑言事」という条文があります。
これは訴陳の場で、相手に対して悪口雑言を言った場合、理非を論ぜず即座に言った者が敗訴となる、というものです。
このように長らく相手に対する口はタブー視されてきたんですよね、日本では。
ところで「御成敗式目」は鎌倉幕府法ですから、その対象となる者も武士階級なわけですが、悪口の最たる言葉は「甲乙人」……「無関係の者」……「武士ならぬ凡下」といったニュアンス……だったようです。
現代なら、差詰め「三国人」でしょうかね……。
よく韓国人が抗議のために焼身するのも、この悪口を言う心理の延長にあるということなのだろうか?上の記事の理論を当てはめてみると納得いくんだよな。
>韓国人の場合、自分の感情は他人に十全に理解されて当然だという意識があるようです。
朝鮮人の考えるコミュニケーションや表現って基本そういう考えベースですよね。
ちょっと本筋とズレますが、
広告・イベント・デザインなんかでの対外的なアピール法を見てると、表面上のパフォーマンスとしては(とてもオリジナルとは呼べませんが)そこそこ研究できてるようにも思います。
しかし、そこはあくまで表現と人の間に記号的なコミュニケーションが既に確立されている分野だからいいのであって、人と人とのコミュニケーションまでもを記号的なやりとりだけで成し遂げようなどという考えはどうかと。
いや半島だけでやっててくれれば文句も何も無い訳ですが。
彼らの不幸は(と言うと色々ありますが)、
自分自身に対する関心と同程度の関心を「他人」という存在に抱いてこなかったために、他人というのが自分には100%理解出来る存在ではないという理屈をいまいちよく分かってないこと・そして、それでも何とかコミュニケーションらしきものを可能にする便利なツールが完備された時代にまで生き残ってしまった為に、よほど高い意識を持って改善させていかなければ未来永劫破滅のその時その瞬間にまでずっとこのままなこと、ではないかと。。。
日本に迷惑をかけないなら、知能高めの猿がパソコンいじくる様を温かい目で見守るように観察出来るんですけどね。
例えに使ってごめんね>猿
同様に、暴力を振るうってのもありますよね。
女性同士もよく、浮気相手を妻が、友達まで連れてなぐりこむなんてのが実際あるそうです。
修行が足りないので、、同レベルに落ちたくないしむなしいから、韓国人とは争わない事にしているんけど、
逃げた=自分が悪いと思っているから戦わないんだ!→勝った!と思われて、
なんか くやしい~(笑)
要は、自分自身が仏教で云う「島」に成っていないからでしょう、他と自分との境目が意識できない、心の中の独り言をそのまま口に出せば、そのまま相手に伝わると思い込んでいる。
「島」になるとは、インシュレート=絶縁すると言うことです、自分のウチに、何処か他人の庇護を求めている部分があって、「判って欲しい」から、度を超して終う、それが、罵詈雑言や暴力になって顕れる、しかし、結局、相手に甘えているダケなのです。
結局、自分世界の中に埋没していて、他である相手の立場や考え方を冷静には考えられない、ついつい、被害者として振る舞ってしまう、原因を相手の理解不足の所為にしてしまうワケですね。
そう言う意味では、幼児的だといえます、こういう場合、相手が優しければ優しいほどつけ込む話になるのは云うまでもない事です、日本でも時々居るタイプです、特にヤクザとかにはこの手の欠陥人間が多い。
朝鮮族がそう言う性格を持つに至ったのは多分、自立できなかった歴史の所為でしょうが、その歴史を改竄捏造して、マトモに向き合えないのでは、千年経っても同じ事です。
在日の絶望もこの辺に原因があると私は思っています。