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憧れの素晴らしき韓国

先日、司馬遼太郎氏の「故郷忘じがたく候」を何気に読み返していた時、思い出したことがあります。それは私が日韓チャットを始めた頃、韓国人から非常によく言われた、文禄・慶長の役についてのことです。

もちろん、韓国人が言う時には「文禄・慶長の役」ではなく「壬辰倭乱」となるわけですが、この際に彼らがしばしばこの戦役を「陶磁器戦争」と言うのが、私には大変気になりました。

「陶磁器戦争とは何か?」と彼らに問うと、「日本は朝鮮の陶磁器が欲しくて朝鮮を攻めたのだから、壬辰倭乱のことを、日本人はそう言ってるのではないのか」という答えが返ってきました。

日本史や朝鮮について、今ほど知識の無かった当時でも、文禄・慶長の役については、本来は明を狙った戦争だとか「朝鮮征伐」と呼ばれていたということは記憶にありました。しかしそれを「陶磁器戦争」と言ったというのは初耳でした。

それは単に私が知らなかっただけで、陶磁器関連に詳しい方ならば、そういう言い回しもさほどに特異ではないのかもしれません。しかし学校の授業で、「文禄・慶長の役」の別名を「陶磁器戦争」と言うと教わった記憶は、全くありません。

前述の「故郷忘じがたく候」で、司馬遼太郎氏は、次のように述べます。
 これは想像だが、島津勢はこの全羅道の文化の一中心である南原城を攻撃するにあたって、最初から、特別な意図を持っていたようにおもわれる。陶磁の工人を捕獲することであった。この奇抜な着想は島津の独創によるものか、それとも他の九州の大名がそれをやったのをまねたのか、とにかく城内に突入しつつ工人をさがすことに意を用いたに相違ない。
 当時、日本の貴族、武将、富商のあいだで茶道が隆盛している。茶器はとくに渡来物が珍重され、たとえば韓人が日常の飯盛茶碗にしている程度のものが日本に入り、利休などの茶頭の折り紙がつくことによって千金の価をよび、この国にきた南蛮人たちまでが、「ちょうどヨーロッパにおける宝石のような扱いをうけている」と驚嘆するまでになっている。ときに茶器は武功の恩賞としてあたえられた。一国に相当する茶器まであらわれた。
 島津勢は、そういう時代の流行のなかで朝鮮に討ち入っている。宝の山に入ったような思いであったであろう。しかもこの宝というのは素材(もと)はといえば土と火であるにすぎず、土と火からそれを生まれしめる工人こそいわば錬金術師であった。
 (中略)粗笨なやきものにかけては薩摩は古墳時代からすこしの進歩もなく、あの華麗な釉薬(うわぐすり)をかけて強度の火力で化学変化をおこさしめ玉(ぎょく)に似た膚質(はだしつ)をつくるという製陶にかけては未開人も同様であった。

司馬遼太郎氏と言えば、昭和の日本を代表する国民的歴史小説の大家であり、私もファンの一人です。氏の作品は、膨大な資料から得た史実を骨格として、実際に現地に赴いて感じた空気や、登場人物ゆかりの人たちとのふれあいから得た着想を、氏の豊かな想像力で練り上げて骨格に肉付けし、それを生き生きと動かしてみせ、まるで当時その場で見ていたかのように、場合によってはまるで氏自身が登場人物その人であったかのように表現するのが特徴です。

上述の文章も、最初に「これは想像だが」と断ってはいますが、氏の作風の特徴が尽くされております。

問題はこの文章が一人歩きしているのではないかと思われる点です。あるいは逆に、氏がこれを書くにあたって読んだ資料や聞いた話などに、このような話が入っていたのかもしれません。

鶏が先か卵が先かはわかりませんが、いずれにしても日本の文化人と呼ばれる人と朝鮮人の間で、上述のような認識が存在したのは事実でしょう。

この認識は、日本人にとっては「ああ、そういうこともあったかもね」程度のものです。当時の日本で、朝鮮のやきものが珍重されたのは事実ですし、文禄・慶長の役で朝鮮の陶工を日本へ連れ帰ったのも、また事実だからです。

こういった日本人の認識は、現在の韓国人の優越感を絶妙にくすぐるものだったのでしょう。即ち、「文化の遅れたチョッパリは、ウリが日常雑器として使ってた茶碗を、ありがたがって宝物のように扱っていたニダ♪ホルホルホル」というものです。

これがやがて煮詰まると、「チョッパリはウリの陶磁器が羨ましくて、その技術が欲しくて、だからウリナラを攻めたニダ」となります。事実、私が日韓チャットを始めた頃に「日本では、壬辰倭乱を陶磁器戦争と言っている」と言っていた韓国人たちは、皆そう認識していたのです。

先日、日韓チャットで韓国人と話をしていた時に、「韓国人は、今も日本人が、韓国に対して領土的野欲を持っていると信じているのではないか?」と聞いてみました。

韓国人は「そうですね、そう疑っている韓国人は多いと思います」と答えたので、私は「現在の日本人は、韓国に領土的野欲なんて欠片も持ってないよ。何ならためしに、誰でも良いから日本人に「日本人は韓国を再び奪おうと思っているのではないか」と聞いてみろ。聞かれた日本人は、思想の左右を問わず、焼け火箸でも押し付けられたかのような勢いで否定するだろうよ」と答えたのですが、その時思ったことがありました。

「日本人は誰一人韓国併合を今後二度と断じて望まないと言えば、韓国人は安心するよりも、不満に思う方が強いのではないだろうか?」

韓国のメディアは、しばしば「ウリナラ芸能人何某に日本列島が熱狂した」とか「日本が注目する韓国のホニャララ」などという報道をしますし、今でこそ日本の嫌韓の存在も韓国人に知られるようになりましたが、ほんの数年前には、日本人が「韓国(人)なんか大嫌いだ」と言えば、韓国人の驚愕と狼狽は甚だしいものがありました。

韓国人は、「韓国は素晴らしい国であり、韓国人は素晴らしい人々(であるべき)」という意識を濃厚に持っています。それは彼らの教育や国家ブランド戦略の方針などにも如実に表れています。日本人やその他の外国人が、ほんのわずかでも社交辞令であっても、彼らのそういった意識を肯定するような言動を取れば、彼らの優越意識は更に高揚されます。それが多少なりとも権威を持つ人の言動であれば、彼らの優越意識は確信に変わるでしょう。前述の「陶磁器戦争」などは、その好例だと思います。

更にかつて日本が朝鮮を併合したという事実は、彼らにとって「チョッパリは素晴らしいウリナラが欲しくてしかたないニダ」ということを確信させる材料になっているのかもしれません。つまり「チョッパリが憧れる素晴らしきウリナラ」であるからこそ、日本は朝鮮を(彼らの意識上では強制的に)併合したのだと理解し、それによって彼らの燃えたぎるような愛国心が満たされるのでしょう。彼らの愛国心を維持するために「彼らが考える日本」は、今現在も、「素晴らしき韓国」に憧れる余りに、韓国に対する領土的野欲を持っていなければならないのです。

逆を返せば、韓国が「チョッパリが憧れる素晴らしきウリナラ」でなければ、彼らの愛国心は維持出来ないということになってしまうわけで、実際のところ、口で言うほど韓国を愛していない韓国人が多いのも、むべなるかなと思います。



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コメント

「竜馬がゆく」が一人歩きして、今日の龍馬像が出来上がってしまったようなもんですな。
史実と作り話(小説)の区別がつかなくなっている世間の龍馬評は、韓国を見るようです。

蛇足ですが、近年の研究で、龍馬の実像は小説の主人公とはちょっと違うことが判明しつつありますね。

2009/04/22-10:10 | URL |   #-[ Edit]

 ずっと以前、リアル韓国人と付き合いがあった頃、私も彼らの言動を見ていて、
「韓国人ってすごい愛国心の持ち主ばかりだと思っていたけど、本当は国を愛しているのじゃなくて、“こんなに愛国心に溢れている(素晴らしい)自分が好き”なんじゃないのかな?」
 と感じたことがありました。彼らの意識・言動は常に他を意識しているものなんですよね。そこに写った自分の姿に(勝手に)悦に入る、そんな感じ。

 ところで、韓国併合?! 領土的野心?! 例えタダでくれると言われても、絶対にごめんです。勝手に半島で自分達だけでやってて下さい、頼むから。
ってか、こっち来るな、かまうな、見るな!!

2009/04/22-11:20 | URL | ポチ #mQop/nM.[ Edit]

>本当は国を愛しているのじゃなくて、
>“こんなに愛国心に溢れている(素晴らしい)自分が好き”なんじゃないのかな?
 それと同じ傾向が「平和」「人権」「差別反対」などを声高に唱える人達にも見られる気がします。
 

2009/04/22-12:56 | URL | きつね #GCA3nAmE[ Edit]

【司馬よ!唐物数寄を知れ】w

中国から修行僧がもたらした茶が、修行のための薬から、貴族間の【茶会】に広がり、【茶会】が外来の華美な商品の自慢大会と化した【唐物数寄】の【祭り】を経て、【侘び・寂び】に開眼して言ったのが、日本の茶道の歴史に見て取れるが、千利休などが勧めたのは、つまり、【日常の素朴な器】なのである。そこに至るまでに、豪華な品物など、国内外に溢れていたのである。
【日常の素朴な器】が容易に手に入る場所のひとつが、当時の朝鮮であったに過ぎない。
これは【先進的技術力の産物】なわけじゃないことは、すぐに気がつくだろう。

さて、秀吉軍団が連れ帰った【技術者・知識者集団=有能者】は、日本に来て何を作ったのか?
彼らは、各藩に召抱えられながら、もともと持っていた技術を切磋し、祖国に居たときからは比較できない【良環境】で、【すでに存在した日本の焼き物技術】と共に【新しい焼き物】を発展させていったのであるw

そのひとつが、伊万里と称される、有田焼だったりするわけだが、知る人はわかると思うが・・・

有田焼のどこが、【侘び・寂び】であろうか?w
連れ帰った陶工は、【素朴な器】など作ろうとしてないし、各藩もそんなものを彼らに求めてないのが、史実であるw

【侘び・寂び】は、高尚な技術や哲学ばかりでは窮屈で金も時間も浪費するため、余裕を持つために、素朴なものや、ヘタウマ漫画や、ヘタレギャグなんかに一定の価値観を見出すような【揺り戻しバランス文化】と、ほぼ、同じ現象であるといえるのではないか?

そういう流れの中で、起きた【必然的な文化伝播・交流・発展】を、さも【日本が憧れていたからに違いない】と持ち上げようとするのは、まさに・・・

現実を、どうにもできない自分の立場を、超論理的に転化させて精神的安定を図ろうとする【ルサンチマン】の行動そのものである。

【ルサンチマン】=【恨】・・・・のことなり。

2009/04/22-13:28 | URL | junchan #k9MHGdfk[ Edit]

朝鮮征伐の時に日本が陶工を連れ帰ったというケース以外にも、捕らえた朝鮮人の捕虜が食うに困って、日本に来てから作陶を覚えたって研究成果もありましたなぁ。
日本の磁器の技法は朝鮮由来のものより、中国本土由来の影響が強いのもむべなるかな。

2009/04/22-13:37 | URL | 名無櫓 #-[ Edit]

彼らにとっての価値とは、自ら作りあげ、守る物ではなく、
権威や多数のに評価される事にによって認識されるもののようです。
だから散々蔑んできた日本の文化習慣も世界的な評価が上がると見るや
起源など捏造してでも我が物としようとするあたり、
楼主様の考察で腑に落ちました。

2009/04/22-18:52 | URL | no more noise #-[ Edit]

いつもながら深い洞察、勉強させてもらいました。

2009/04/22-19:31 | URL | 名無櫓 #-[ Edit]

記事を読んでこれhttp://www.excite.co.jp/News/sports/20090421/Fuji_SP_320090421100.htmlを思い出しました。
内容をかいつまんで説明すると、

Gの選手は日●通算450本塁打を祝ってもらえなかった、しかも翌日のスタメンから外された。
対してヤの選手は日●通算200セーブを盛大に祝ってもらえたとホルホルしてる。
これからは金だけで選手を雇えると思わないほうがいい、もっと持ち上げてやるべきだ。


みたいなことが書いてあります。

ヤツらは日本人に誉めてもらうのがお好きなようで、逆に認めてもらえてないとファビョるのがなんとも言えません。
だいたい450という記録がどうスゴいのか分らない方も多いと思いますので参考に。
歴代最高記録 本塁打【通算記録】←たぶん日本国内の成績しか反映されていないと思います。
http://bis.npb.or.jp/history/ltb_hr.html

K国の野球界が国際的に認められているなら、日K通算記録にも少しは目が向くと思いますが、国内ですら大して盛り上がっていないものを、どうして日本のメディアが気にしないといけないのか不思議です。
むしろヤの盛り上げ方は一部ファン獲得の為の戦略(盛り上げる為にどこからでも記録になりそうなものを集めてくる)ですから、特異なものだと思いますがね。

花一輪の心は分かりますが、素朴すぎる器を重宝する侘び寂びの気持ちは無い非文化人です。
貧乏人なので、ことさら素朴を愛する必要はない。素朴=日常だからw
陶器ではKのボロいのより中国の繊細かつ美しいものの方が好み。

2009/04/22-21:00 | URL | 名無櫓 #b4jxZAz.[ Edit]

>「日本人は誰一人韓国併合を今後二度と断じて望まないと言えば、韓国人は安心するよりも、不満に思う方が強いのではないだろうか?」

うわ、これは気がつかなかった。
現代の日本人は、良くも悪くも「韓国?別にいらない」としか思わないのでは。

良くも、とは韓国を対等の一国家として尊重している場合で、
他国を併合することなど考えていない場合。
悪くも、とは韓国人の気質を良く理解していて文字通り
韓国に近寄りたくもない場合。こっち見んな!ですね。

でも言われてみると思ってそうな気がする。

2009/04/22-22:21 | URL | じた #z0agn/Vc[ Edit]

文禄・慶長の役で日本に連れてこられた陶磁の工人とは「李参平」氏だと思いますが、最近では、彼は中国人ではないか、とか、中国の製陶技術を習得した若者(日本に来たのは20歳の時)ではないか、との説があります。
http://www47.tok2.com/home/yakimono/honoo/01-05.htm

また、李参平氏は無理やり日本に連れてこられたのではなく、島津勢が朝鮮から引き上げる時、日本に来ないか?と誘われ、進んで日本に来たそうです。

韓国人は「李参平一族郎党を日本へ強制連行されたので、それ以後朝鮮半島における白磁の伝統は途絶えてしまった」と言っているようですが、自ら「わが国の伝統、技術はものすごーく薄っぺらい」と言っているとしか思えませんね。

2009/04/22-22:51 | URL | 名無櫓 #LkZag.iM[ Edit]

朝鮮半島統一を日本は恐れている!
だから半島が統一できないよう日本が工作しているニダ!

というロジックと少し似てるね

2009/04/22-22:51 | URL | 兼定 #-[ Edit]

「坂の上の雲」を読んで四国に行ったほど司馬遼太郎の大ファンだったのですが、今は似非文化人だと思っています。幾つかの小説に許されない作為を感じます。
長文で読むのがしんどいのですが、以下が参考になります。
…アドレスが「禁止キーワード」を含むようです。
【司馬遼太郎、沈寿官、NHK合議の詐術 酒井学】でググってください。
司馬氏は博識で文章が読みやすく勉強になるので今でもたまに読んでますが…。

2009/04/22-23:06 | URL | ざる #qnVYkfDY[ Edit]

司馬自身は司馬史観を否定してるんだけどね…。

竜馬像だけでなく、土佐郷士と土佐上士の関係も司馬史観によって歪められているのにはあまり知られていない気がします。

それにしても司馬作品がドラマ化するたびに、うちのご先祖の実績を竜馬達に横取りされたうえ居なかったことにされるのはどうかと思うんだ。

2009/04/23-11:17 | URL | フッキー #-[ Edit]

くさなぎに

法則が下りました

2009/04/23-18:33 | URL | 千尋 #-[ Edit]

司馬小説って小説の中に個人的感想とか入るし、愚痴やら昭和軍人の悪口とか書いちゃうからけっこう読みにくいって感想しかないですな。ストーリーは好きなで学生の頃は大河ドラマに影響されて跳ぶが如くとか読みふけったもんですが。
司馬遼太郎はけっこう韓国びいきで、韓国>日本な書き方をしています。坂の上の雲とかでも韓国は日本の師匠とか書いてますし。だから韓国人も司馬の言動とかを根拠にくっちゃべるんでしょうね。
司馬史観は明治の日本=見習うべき手本、昭和初期の日本=絶対悪みたいな単純なもんだし、こういうのを根拠に歴史語るってのもなあ……韓国人らしいかな。

2009/04/23-19:58 | URL | tato #-[ Edit]

まあ、この陶磁器の話は、李舜臣伝説での東郷平八郎が李舜臣を誉めたという司馬小説のエピソードと同じく彼らの歴史に不可欠な材料みたいですね。

2009/04/23-21:04 | URL | abcd #wbvlsWA2[ Edit]

石窟庵

Amazon.co.jp: 昭和史 別巻1 決定版 (20): 本
http://www.amazon.co.jp/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%8F%B2-%E5%88%A5%E5%B7%BB1-%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E7%89%88-20/dp/4620604003/ref=sr_1_5?ie=UTF8&s=books&qid=1240489760&sr=8-5

石窟庵 釈迦如来像
             
 一九七一年の秋、韓国へ高麗、李朝の陶磁の古窯調べに行った。そのおり、足を延ばして新羅の遺跡の仏国寺を訪ね、背後にある吐含山の石窟庵へと行った。
 一人の若い僧侶が石窟建造の由来を説明したあと、
『中央の釈迦如来像のミケンには、現在ガラス玉が入っているが、元は水晶の玉が入っていた。だが水晶の玉は、終戦直後、日本人が盗んで行った……』と、つけ加えた。
 「チョ ムスン ソリュヤ(そりゃ何の歌でい=何たることをぬかすか=といった意)」私は、そこが外国であることも忘れ、下等な俗語で僧侶に食ってかかった。
 いま、日韓両国が善隣友好に努力しつつある時、それに水をさす歪曲された言葉には、我慢ならなかったからである。
 新羅の旧都慶州には一九一三年(大正四年)から移り住み、石窟庵には大坂金太郎校長(後の慶州博物館長)に伴われて幾度か行ったが、当時から如来像のミケンに玉は入っていなかった。庵寺の僧侶は、戦後東京中央大学の史学科を出たという人で、受講中に聞いた話だと言ったが、私の抗議にはその場で了解してくれた。
 この種の歪曲された「日本人の悪業?」の話は、戦後雨後の筍のように流布され出した。事実を究明することなく、物の本にもかなり書かれている。最近読んだ新刊で、高麗、李朝の陶磁の写真集に、壬申倭乱の時、日本勢が撤退に際し陶工のほとんどを拉致して行ったとしてある。
 私は一九二八年から朝鮮総督府鉄選局に席をおき、朝鮮事情紹介の執筆編集にたずわった。「高麗、李朝の窯跡歩き」と題する案内記を出すこととなり、その道の権威であった浅川伯教さんをわずらわして古窯探査をやった。そのおり伯教さんは、李朝の窯などが亡びたのは、陶工の国外流出によるものだと説明された。壬辰丁酉の豊臣勢の朝鮮侵攻は不幸な出来事だったが、彼の地の道案内には現地の人達を起用した。
 一五九五年(文禄五年)島津義弘が巨済島引き揚げに際し、部隊に協力した数名の朝鮮人が、彼らからの申し出により、薩摩に来て帰化した。その中に金海と呼ぶ陶工がいて茶碗を焼き、献上した。義弘は大いに喜び彼を士班に取り立て、名字帯刀を許して禄一五石を与えたという『古文書・薩摩陶器起原』。
 萩に来た李敬一門、上野に窯を開いた尊階(釜山鎮城主の次子)、有田に来た李泰平など、みな金海同様の優遇を受けている。その噂を伝え聞いた朝鮮の陶工が、競うように日本へ流出したため、李朝の窯場が空になったと考えるのが自然だろう。
 日本車に協力した者には、当然極刑が待っていただろうし、また陶工のおかれていた階級が「賎民」と呼ばれる最下層だったことも流出の原因にちがいない。
 一九一〇年日韓併合後、朝鮮に移り住んだ日本人一人一人が高麗王朝以来疲弊した文化を複帰し新展することを考え、実践してきたはずである-もちろん朝鮮の人たちとともに-。
 現在でも韓国の多くの友人たちは、私が訪韓の度に日本人の書いた本を示し、いつになったらこんな意味ない著書が終息するのだろう……と。
(飯山達雄)

2009/04/23-21:36 | URL | さとうたかし #-[ Edit]

虚栄心が強いんでしょうね、彼等は。
俺達は日本人よりも道徳的に上の立場だということを上から目線でアピール。
そしてついにはあの新井氏までも・・・
http://d.hatena.ne.jp/k3alt/
それに関しては、abusan氏が
http://absente.blog.so-net.ne.jp/2009-04-21
で反論しています。

2009/04/23-21:42 | URL | 未確認生命体 #-[ Edit]

tatoさん、司馬氏は、人物の欠点とか醜さを曖昧にしがちだという特徴も誰かに指摘されていたような気がします。
あと、明治維新に関しての討論では、松本正張氏の主張する考えに負けていたかと。

2009/04/23-21:52 | URL | 未確認生命体 #-[ Edit]

いつも楽しみに、また興味深く拝見させていただいております。
私の浅薄な思考からすると、今後かの半島の方々は「併合」と「植民地」の違いにも
敏感に反応するようになるのじゃないかな、何て考えたりしました。
日本の左巻きの人があの半島を「植民地化」した、という事で論究するのを聞いて
「ウリ達は、下にも置かないおもてなしを受けていたんだぞ!その証拠に見ろ!ダムは造るわ、人口は増やすは、道だって水車だって・・・」と、あくまで日本が朝鮮国を「同等のもの」以上として取り扱ったという意識への変化が起こるんじゃないかと。今までの被害者前提の戯れ言から新たな領域へ飛躍するのだろうか? なぞと御説を拝見して思った次第です。

2009/04/24-02:15 | URL | 名無櫓 #-[ Edit]

司馬遼太郎『故郷忘じがたく候』については、 下川正晴氏 (現在は大分県立芸術文化短期大学情報コミュニケーション学科教授) が自身の連載コラムで取り上げたことがあります。
しかしそのコラムは、毎日新聞のドメインが mainichi-msn だったときのもので、ソースはすべてリンク切れになっており、また下川氏の連載コラムは出版化もされていないようなので、閲覧することができなくなっています。そこで、次のコメントで、自分のHDDに保存してあるファイルから、省略なしで全文を引用します。

2009/04/26-19:04 | URL | Juan #uhh1iitw[ Edit]

ソウル発!! 人&風(サラム&パラム) 第55回:異説「故郷忘じがたく候」 2006年11月26日

 少し旧聞になる。県人会「ソウル薩摩会」の創立10周年記念の講演会が、このほどソウルで開かれた。

 会長は産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘さん。黒田さんは実は大阪出身・京都大卒なのだが、ご両親が鹿児島県生まれのため「鹿児島出身でごわす」などとヘンな鹿児島弁をつかいながら、会長を務めている。

 会員は40人ほどか。ソウルにある県人会の中では、ミドル級といったところだろう。最近は宮崎県人会との合同例会を開いて、焼酎を飲んだりして、皆で楽しんでいる。鹿児島県霧島市出身の私も、もちろん会員である。

   *       *

 記念講演会のスピーチは、作家・文芸評論家の関川夏央さんが来韓して行ってくれた。黒田さんの古い友人で、私も何度か話をしたことがある。鋭い分析力とバランス感覚に敬意を払っている一人だ。ルポタージュの名作「ソウルの練習問題」(最近、集英社文庫に入った)は、1980年代の第一次韓国ブームに火付け役となった。

 「ソウルは10数年ぶりです」と関川さん。どうですか、久しぶりの印象は? 「すっかり先進国ですね。若い男の子たちが細面の顔立ちをしている。中進国時代の荒々しさがない」。さすがに観察眼は鋭い。「焼酎の度数が軽くなったね」「一人で食事している韓国人を見た。以前にはなかった現象だ」。目のつけ所が的確である。

 30年近く韓国で定点観測している黒田さんが「近年、若い男性のヤサ男化が目立つ」と書いたのは、1999年のことだ(産経新聞「ヨボセヨ」)。このころ、韓国にも「ホストクラブ」が生まれた。保守から左派政権へ。時代の変わり目は、このへんだったのかな?と思う。

  *        *

 さて、講演の話である。

 テーマは「司馬遼太郎と韓国・朝鮮・薩摩~小説『故郷忘じがたく候』を中心に」だった。そのさわりを、西日本新聞(10月30日付け、原田正隆特派員)が報道している。引用しておこう。

 <関川氏は小説の内容を踏まえ、文禄・慶長の役(1592~58年)で島津義弘が朝鮮から薩摩に連れ帰った陶工集団について(1)薩摩に来たのは豊臣秀吉軍の日本帰還から約2年後だった(2)17の姓それぞれの集団がほぼ均等の人数で構成されていた(3)朝鮮での地位は高くなかった--と指摘。その上で、陶工集団は豊臣軍が強制的に連れ帰ったのではなく、望んで渡来した、もしくは朝鮮側の選抜によって渡来したのではないか、との仮説を提示した。>

 司馬氏の名作を彩る「朝鮮陶工=強制連行説」からすれば、きわめて意外な「仮説」なのだ。しかし、関川さんが指摘したように、「故郷忘じがたく候」を丹念に読めば、上記のような仮説は十分に成立する。

  *        *

 司馬作品を読み直してみた。

 文春文庫版で言えば、19ページ「姓氏は17氏」。26ページ「逃げおくれた沈姓以下七十人ほど」。30ページ「どういう船できたのかはわからないが、日本人船頭が操船していた形跡がない。しかも薩摩にやってきたのは、この翌年なのである。途中、なにをしていたのであろう」。31ページ「かれらが串木野の浜に漂着したのは、関ケ原ノ役の直後(中略)だった」。これらが「関川仮説」と関連するくだりだ。

 念のために、西日本新聞の記事中(2)の点について付記すると、金、李、朴、崔、鄭といった姓が韓国人の全人口の54%を占めている(2000年国勢調査)実態からすると、「17姓、約70人」という朝鮮陶工の構成には、人為(選抜)が感じられるということなのだ。

上垣外憲一「文禄・慶長の役」(講談社学術文庫) 上垣外憲一「文禄・慶長の役」(講談社学術文庫)も読んでみた。「豊臣秀吉の侵略戦争」に関する基本図書と言える本だ。もちろん「苗代川の陶工」についての記述がある。ここには「慶長三年(一五九八)、朝鮮の陶工たちは薩摩国串木野島平に上陸した」(180ページ)と書いてあった。

 あれっ!? 司馬氏の記述(「関ケ原ノ役(1600年)の直後」)とは、漂着年に大きな差がある。どちらが正しいのだろうか? 上垣外説が正しいとすると、関川説は成立しなくなる……。

    *    *

 関川さんからは、荒山徹「故郷忘じたく候」という小説の存在も教えてもらった。「忘じがたく」ではない、「忘じたく」である。つまり、忘れたい!

 荒山氏は読売新聞の記者出身だ。出版社勤務を経て35歳で語学留学した異色の経歴の持ち主である。かつて、李舜臣暗殺の陰謀を書いたデビュー作「高麗秘帖」(祥伝社文庫)を読んだことがあった。半村良の伝奇小説をコリアチックにした感じだ。

 荒山氏の「故郷忘じたく候」について、ネタ晴らしになるので、詳しくは説明しない。

 ポイントは、文禄・慶長の役によって「強制連行」された朝鮮人の中に、戦後の「回答兼刷還使」(第3回朝鮮通信使までの呼称)の帰国呼びかけに応じなかった人々が多数いたという、「史実」に基づくフィクションであるという点だ。

 「自ら積極的に日本に来ることを望んだ例を、とき(小説のヒロイン)は自分の目で見て知っている。たとえば、陶工たちがそうだった」(109ページ)。この小説には、こんな刺激的な一説すらある。

 「韓国人が読んだら、激怒するだろうなあ」。最近、日本から来た旧友連中と飲んでいて、話題が「故郷忘じたく候」になったとき、友人の一人は苦笑しながら、そう言った。別の友人は「陶工たちに姓があったというのは、にわかに信じがたい」と語った。朝鮮王朝時代には徹底した身分差別があったのが「史実」だからだ。

 上垣外「文禄・慶長の役」(103ページ)に、漢城市内の下層民が日本軍の到着以前に、奴婢の記録類が保存されている王宮の建物を焼き払ったことが記述されている。現代の韓国人たちが、日本人に向かってほとんど話さない「史実」のひとつでもある。

  *       *

 関川さんの「仮説」によって、私は思いがけず、「文禄・慶長の役」について、改めて勉強してみる気になった。

 熊本県の加藤神社には、清正に殉死した朝鮮人・金官が合祀されている。その説明文はこのほど、韓国側の指摘を受けて撤去されたという。有田焼の陶祖・李参平の碑文(1917年建立)にある「征韓」などの表記には、韓国側からクレームがつき、昨年、新しい碑が建立された。(征韓?、韓国では依然として「対馬征伐」という表記がまかり通っているのだが・・)

豊臣秀吉 上垣外「文禄・慶長の役」を読んで面白かったのは、豊臣秀吉による戦争を「東アジアにおける外交戦略」の不在として、とらえていることだ。「秀吉は女真族との同盟など最初から頭になかったし、海軍力で有力な同盟国になりえたはずのスペイン、ポルトガルに対しても拙劣な働きかけ方で、協力を取り付けられずに終わっている」(学術文庫版あとがき)。

 白村江の戦い、秀吉、第二次大戦、小泉外交……。「東アジアにおける外交戦略」は現代的な課題でもある。

 秀吉軍の出撃基地になった名護屋城跡に建てられた佐賀県立名護屋城博物館(唐津市)に、まだ一度も行ったことがない。早めに訪問してみたい。(2006年11月26日)

2009/04/26-19:08 | URL | Juan #uhh1iitw[ Edit]

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月見櫓 韓国 日韓
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