韓国人の望みは朝鮮民主主義の実現なのか
北朝鮮の後継者問題と言えば、テレビ朝日が金正雲の写真だと言って報じたものが、実は激しく誤報だったという件は、日韓チャットで韓国人から言われました。でも私がその時その件を知らなかったので、ナチュラルにスルーしてしまいましたが、言い出した韓国人の方も、単に「日本メディアが北朝鮮の後継者の画像を誤報した」という程度のことしか知らなかったようで、それ以上の言及はありませんでした。
ところで前回記事のコメントに、燭火デモは民主主義の発露で間違ってないと思っておられる人がいらっしゃいました。弊ブログをお読みの上でそういうことをコメントする方がいらっしゃるということは、日本語が読み書き出来る能力のある人の中にも、そういう人は少なくないのでしょう。そういう人の中の朝鮮人率がどれほどなのかは、私には判定のしようがありません。
仮にそういうことを仰っていた方が朝鮮人ではないとしても、書かれたコメントを見る限りでは、燭火デモについて何も知らないか、あるいは燭火デモ全能主義韓国人の言い分を検証もせずに鵜呑みしているか、もしくは「何につけ一応は日本人は反省汁」と思っているだけのようです。日本語を読み書き出来る能力が、即ち読解力や判断力に結びつくとは限らない好例かと存じます。
燭火デモが非暴力を掲げながら極めて暴力的なのは、最早1年前から明白です。反政府側(=デモ賛同者側)は、それを戦闘警察側(=政府側)の暴力に対抗するものだという主張を盛んに行なっておりますが、決してそんなことはありません。昨年の最盛期から、私は反政府側のメディアによるデモの生中継をリアルタイムで観覧しておりましたが、戦闘警察もデモ参加者もどちらも同じ韓国人ですから、どちらも同じ程度に暴力的でした。
同じ程度に暴力的なら、数が多く、誰が、いつ、どこから、どれだけの人数が、どのように現れるかが全くわからないデモ隊の方が明らかに危険でした。戦闘警察は戦闘警察とわかる格好をしており、統率の取れた行動を取りますが、デモ隊やその賛同者は、それとわかる格好をしている者から、そうではない者までが、誰に統率されるでもない分、衆を頼んで暴力行為を含んだ予測不能な行動を起こすからです。
また、市民が参加する政治という意味であれば、韓国の大統領選挙は直接選挙ですから、その最たるものです。市民が直接選んだ大統領を、暴力デモで糾弾し、退陣を求めるというのは、「朝鮮民主主義」においては間違ってないのかもしれませんが、普通の国の民主主義では間違っていると断言します。
ここで思うのは、「普通の国では間違っている」ということであっても、朝鮮人にとってそれが正しく適していると思うのであれば、それを貫けば良いということです。朝鮮人にとって朝鮮民主主義が最も適しているという確信を持って、彼らが朝鮮民主主義を求めているのであれば、外国人が何を言おうとやれば良いのです。
しかし果たして彼らは「朝鮮民主主義」が良いと信じて行動しているのでしょうか。私は違うと思います。
韓国人は失敗することがあっても、それを教訓としたり経験にすることが出来ません。個人であれ国家であれ、必ず失敗そのものをなかったことにしてしまいます。だから彼らは、何度でも何度でも同じ失敗を繰り返します。
「朝鮮民主主義」が、彼らの失敗の積み重ねの中で得られた回答であるならばともかく、歴史を振り返れば、彼らは似たような失敗を何度となく繰り返しております。
結局彼らの言う「朝鮮民主主義」の発露であるところの燭火デモは、彼らが望んで得た回答というわけではなく、彼らが今までに何度となく繰り返してきた失敗のうちのひとつの型であることを、彼ら自身が認められないだけのものだと、私は思っています。
今回も、彼らの「朝鮮民主主義」によって韓国は少なからぬダメージを被っており、これが韓国の今後にどのような影響を与えるかはわかりませんが、どう見積もっても良い結果が出るようには思えません。
もっとも、韓国人は韓国を滅ぼしてでも、「朝鮮民主主義」の実現を望んでいるのだと言われれば、私には最早返す言葉がありませんが。
コメント
管理人は「朝鮮民主主義」という定義をされており、特に異論はありません。
しかし、朝鮮人達がその論を全く理解しない、或いは全否定するのは明らかです。
従って、おっしゃる通り連中がそれを信じてるわきゃありません。w
この現象も朝鮮人の特筆すべき一面なので少し書かせていただきますね。
例えば日韓チャットの中で【犬食い】の話題が出たとき、
多くの朝鮮人の反応は【韓国悪口しないでください】です。
悪口どころか、まだ犬食いに対する是非の意見を誰も言っていません。
思うに【外国人にとっては批判の対象だろうが何としても正当化しなければならない】
このような心理が働くのでしょう。
その先、犬食いに対する意見交換など出来ようはずもありません。
犬食いに限らず、あらゆる朝鮮人社会の特徴を論ずる時、フツーに見られる反応です。
暴力デモに対して朝鮮人に何度も意見を求めたのですが、反応は犬食いと同じです。
自分達自身が恥じてながら、それをごり押しで正当化しようとするのが朝鮮人。
前回の記事に【日本よりまし】というようなことを書いたオバカもありますが、
これは【どうせ知らんだろう】という、名付けて【朝鮮侮り】が作用しているものと
思われます。w
これまた良くある現象のひとつです。
そういや、私も以前知り合いの韓国人と話していた時に「犬食」の話が出て、
「韓国って犬食べるんだよね?」
と何気なく言ったら、
「食べて悪いんですか?! 日本人だって馬食べるじゃないですか!!」
と食って掛かられ、
「はぁ? 誰も悪いなんて言ってないけど?!」
となったことがありましたね。その時に思ったのは、
「犬食の何が悪いと言いながら、その実それを1番気にしているのは韓国人自身じゃね?」
だったんですが。
あくまで基準は「自分」、でも価値判断は「他人の目」、しかし、絶対「自分」は直さない、他人に無理やり「自分」と同じになることを強いる、こんな感じでしょうか。
それにしても、「朝鮮」民主主義、なんか笑えません、ゲンナリきますね。
遊び道具
>市民が直接選んだ大統領を、暴力デモで糾弾し、退陣を求めるというのは、「朝鮮民主主義」においては間違ってないのかもしれませんが、普通の国の民主主義では間違っている
半島の歴史においては、権力者同士のクーデーターはあったものの、大衆が権力者を引き摺り下ろすという事がありませんでしたから、そういう事を出来るという事が楽しくて仕方ないんじゃないかと思いますよw
彼らって、自分が他者を攻撃できる武器を持っていた場合、積極的に使いますよね。
「差別」「植民地支配」「慰安婦」「人権」「反米」「日帝」・・・etc
それと大差ないかと思います。
ただ、攻撃する相手が違うから、相手に効く武器で攻撃しているんではないかと。
つまり、自分を有利に導くためには、攻撃する事を辞さないという事ですね。
ぶっちゃけ、単に身勝手なだけです。
自分の都合だけでモノを考えているに過ぎないでしょう。
古田氏の「新しい神の国」からの引用です。
「朱熹には、事物に対する侮蔑があり、事物は己に奉仕させるものとしてある。」
「守仁には、事物に対する軽視があり、己が係わらねばそれらはなきものである。」
「二元論が一元論かの違いであり、思ったモノが現実のモノに優先するというのは同じだ。」
以上です。
朱子学って、自分勝手ですよね。
こんな教学を1400年の太宗から、国民に強いている訳ですから、そりゃ、今に至っても尚、朝鮮人民が愚民化真っ最中なのは仕方ないかと思います。
それに、今においても、生活にその教えが所々に入り込んでいるでしょうから、なかなか、この呪縛から解き放たれる事は無いでしょうね。
それこそ、朝鮮人という文化、その文化を教授している親から切り離して育てるしか、この呪縛から放たれる事はないかと。
まぁ、それは、朝鮮人自身の問題ですし、こちらが係わる事でも無いですねw
自分がそういう民族性だったという反省が無ければ、遊び道具を振り回す生活は、終わらんでしょうね。
【そんな高尚なことですらないよw】
>火の見櫓氏へ
朱子学は、南宋の朱熹によって再構築された儒教の新しい学問体系であり、日本で使われる用語である(Wikiより)
本来、朱子学の体系は、【自分勝手】というものではなく、林羅山による【上下定分の理】であっても、飽くまで【理】を唱えているものであるw朱熹自体も、【理】と【気】の両方を体系化しようとしたのであって、【自分の認識次第で現実はどうとでもなる】かのような【【気】の所為】や【空耳】のような道徳体系ではないw
したがって、朝鮮人が自分勝手に見えるのは朱子学の所為というわけではなく、【自分勝手な解釈】をして、【自分に都合よく運用】しようとしている朝鮮人本人の【行い】の所為であって、朱子学そのものが朝鮮人を縛っているという説は大間違いである。
大きなヒントとして、ひとつ言っておくが、彼らには・・・
【上っ面しか見えないだけなのである】
おさるのジョージ
おさるのジョージ
NHK日曜日に「おさるのジョージ」という番組をやってるんですが、
お猿さんのジョージが一緒にいるおじさんを見よう見まねで真似して失敗するんです。ただそのジョージはすごくかわいいんですよ。
なんで、同じアホでも朝鮮人はあんなにかわいくないんでしょうかね?
この差はでかいです。
韓国民主主義の象徴はノムタン?
ろうそくデモは、ネットの祭りが拡大した結果リアルで実行された運動なだけに、昔ながらの組合的な運動とは違ったアプローチで政府に働きかけようという主張が見られます。
やはり暴力は駄目だと意識はあるのでしょう、それでも暴動的なことが起こるのは国民性としか言いようがないですが。
向こうで言うところのネチズンたちは、このデモは政府と対等にならんとする市民的な新しい運動だと大喜びしています。その発端は米国産牛肉への根拠の薄い恐怖心であったりしていますが、始まりはどうであれ彼らの時代は動いたようです。
ノムが煽った他国への憎悪がそのまま民族自決的な風潮を呼び、ノムを反省する形で成立したあきひろ政権が前時代の象徴とレッテル貼りされて、猛烈に叩かれている現状。
ここへ来てノムの死はろうそくデモに大きな影響を与えるでしょう、もしかしたら瓢箪からコマみたいなことになるかもしれない・・・。
例えそれが韓国を破壊しても、それで一体誰が困るんでしょう?彼らはお馴染みの混沌へ戻るだけです、日本に併合されて文明と秩序を学ぶ前のあのゴミ溜めに。
ことわり
junchan氏
>飽くまで【理】を唱えているものである
そうですよ。
だから、その「理」、即ち朱子学の教義が問題かと。
格物致知という言葉があります。
辞書ですと、「朱子学では格物において自己の知識をその極にまで推し究めること。」だそうです。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/32642/m0u/%E6%A0%BC%E7%89%A9%E8%87%B4%E7%9F%A5/
また、広辞苑等ですと、「物の道理を究め尽くして、わが後天的の知を致しきわめること」とあるそうです(古田氏から引用)
この格物致知、パッと見、物の道理を究める事により、自らの知識を研鑽するかの様な意味ですが、これはそうではありません。
分類し、詳細を明らかにし、現実と照らし合わせるといった、所謂、学術的手法としての概念ではありません。
儒教的な物の道理、それを究め尽くすという事ですね。
例えば・・・。
聖人君子の子供は、親と同じく聖人君子になるとか。
死者は生者と同じく、死んだ身でも飯を食うから、羊豚の内臓を供えるとか。
川の流れは縦だから、箸の置き方も縦だとか。
宗族内において、男子血統を守りちゃんと供物を与えないと、死んだ祖先が餓鬼になって宗族全体に祟るとか。
父母や夫が死んだら喪に服す(二年と一日の間)とか。
親孝行の範として、嘗糞をするとか。
・・・etc
これらの事を、この道理を究め尽くす訳です。
そこに疑問は挟みません。
それが、「理」なのであれば、そうするのです。
だから、その「理」自体が問題でしょうと、申している訳です。
儒教全体に言える事でしょうが、「理」はあっても、それが現実と照らし合わされたものかどうかは別問題です。
朝鮮人が自分勝手に運用しようとしまいと、その運用対象である「理」が歪んでいる事時点でダメとしか言い様がありません。
それと、李朝以上に、朱子学を徹底した国はありませんよ。
支那や日本においては、建前と本音という事がありますから、つまりは馬鹿馬鹿しくて、この教義を全面的に支持するという事には至らなかった様ですね。
また、朱子学の「理」と「気」の話ですが、私では勉強不足で説明がつきませんので、再度、古田氏から引用させて頂きます。
「朱子は存在というものを「理」と「気」の合体から説明した。万物には鏡のごとく明澄な「理」が天より分有されている。しかし万物の素材をなす「気」に清いものと濁ったものがあるのである。これが鏡を曇らせる。一番濁ったものは器物、モノである。つぎは草木であり、頭を下にしている(つまり根)ほどに劣っている。次にましなのは禽獣、動物のことである。禽獣は気が濁っている分、頭がまちがって横についている。次は人間だが、これも気の濁った者がいる。卑しい小人である。君子は気が澄んでいる。澄んでいる分、「理」鏡の光がまし、道徳の知性が輝く。したがって彼にこそ卑しい他の物どもを徳治で率いる資格がある。」(古田博司氏「朝鮮民族を読み解く」)
・・・だそうです。
これが、「理」と「気」の理論体系だそうですが、こんな考え方で、果たして人間生活がまともに機能するとは思えませんね。
朱子学以前の朝鮮民族の文化観も問題でしょうが、さらにそれに輪を掛けたのが、太宗が導入した朱子学かと思います。
朱子学についてご見識の深い貴方の事ですから、そういった事を踏まえた上で、「朱子学そのものが朝鮮人を縛っているという説は大間違いである。」と指摘して下さった事に対して、深く感謝申し上げます。
所詮チョーセンジンのやることですから
朱子学も相当手前勝手に歪んでいるのでしょう。もちろん朱子学にそういうところは多々あるのでしょうが。
判断
choncon氏
そうですね。
手前勝手な理論を、手前勝手な文化の方が用いる、これほど危険な事があるでしょうかw
「こりゃ、変てこ理論だ。ダメだこりゃ。使えねぇ。」という判断が、導入以前以後に出来れば良いですが、そういう価値判断が出来ない人間が用いている訳ですから。
しかも、クソ真面目に、ひたすら受け入れてしまっている訳です。
まぁ、李朝が国是として、国の体制として、徹底したのが大きいでしょうけど。
だから、朝鮮文化も問題でしょうけども、朱子学も「理論」はありますけど、それ自体が問題ではないでしょうかという事を申したかったという訳です。
長々と失礼致しました。
チョン
キリスト教がチョンの手にかかると、統一教会になり、合同結婚式、霊感商法になり、さらうには、キリスト自身が実はチョンだった。え?wになるわけです。
戦後キリスト教に飛びついたように、モンゴルに強姦されたチョンが、朱子学に飛びついた面もあるだろうと私は思います。
朱子学そのものの解釈は学者や人によって違うので論は避けます。(というよりよくわかりません)
ただ、それまでの儒教が道徳規範的な雑多な教えの集まりだったものを、朱子が絶対価値のもとに全体の考え方を体系立てしたといえます。(らしいですw)
そういう意味で、朱子学が、一神教的価値観で言う「宗教」のような側面をもったことは確かだと思います。
それに、強姦されたチョンが飛びついて、どんどん発展(もちろん後退の意味です)させたわけです。さすがはチョンです。
Re:チョン
千尋氏
>霊感商法
これは立正佼成会との関係もありますから、何とも。
>キリスト自身が実はチョンだった
他にも、孔子とか釈迦も朝鮮人らしい(!?)ですねw
同じく、日本の皇室も朝鮮人という勝手な判断をしておりますね。
文化的に、他者を、あたかも自分かの様に塗り替えるのが好きの様ですね。
だからとって、朱子学も自分風に塗り替えたのなら、それはそれで構わないんですが、私は塗り替えたというか、徹底したと思っております。
同じく文化的に、他者に、自らが迎合する、事大するのも好きの様ですね。
古代では唐風に、中世では、遼・金・蒙古風に、最後は明ですかね。
最近では、日本風に徹底したかと思います。
彼らは、事大先に徹底するか、増長して上書きするかに変動しますね。
つまり、どちらの場合も、自分が無い、主体性が無いのでしょう。
これが、民族的な生存力なのかもしれませんね、キムチ悪いですがw
蒙古に事大するにしろ、朱子学を導入するにしろ、虚言を用いて何もかもが朝鮮だと思い込むにしろ、やはり、自分というモノがどういう存在であるかという事、内省する文化が欠如している事が問題なんでしょう。
一応、こんな国でも自己を問うのを本意とする仏教があったんですが、李朝が破壊してしまいましたので、それも大きいかと思います。
結局、自分というモノに歯止めがかからないまま来ている、しかもそれが文化として生活と密接に関わっている、どうしようもありません。
そういうどうしようも無さを見て、反面教師とするのが日本の宿業なのかもしれませんね。
安重根の書と写真 ソウルへ…龍谷大が特別展に貸し出し
http://osaka.yomiuri.co.jp/university/topics/20090617-OYO8T00253.htm
このうち遺墨は、「中庸」の一節を引用した「戒慎乎其所不賭」(立派な人物は誰も見ていなくても自分を戒め、慎むものだ)や、「論語」の言葉など3幅で、いずれにも、独立を願い、左手薬指を切断した安重根の手形が押されている。写真は、獄中の安重根や射殺直前の伊藤博文をとらえたカットなどで、9月から来年2月まで貸し出される。
もう戻ってこないと思います。
貧民暴動がその原型です
近代の朝鮮の歴史の中でよく似た事件を挙げるとすれば、朝鮮事変と東学党の乱(甲午農民戦争)であろうと思います。これらは暴動とは言われていませんが、その実態は暴動です。共通点があります。それは「貧民暴動」であり、どちらも「攘夷」を掲げているということです。
朝鮮事変の暴動の主体である「政府軍兵士」は事実上の貧民です。甲午農民戦争の農民というのは、これも貧民ですよ。日本の農民をイメージしてはいけないと思います。暴動ですから少数の扇動者がいて、多数の貧民がいるわけです。「攘夷」を掲げていますが、根本的原因は経済的困窮ですから、当初のスローガンはそのうち霧消してしまうのです。
李朝時代はおそらくこのような扇動者をきびしく取り締まっていたんでしょうけど、末期には宮廷の権力争いに利用されたりして、その監視が緩んだんでしょうね。
「アメ牛暴動」ですが、経済的に苦しくなっているけれども、いまだ貧民の数は少なく、北朝鮮の工作員が幾ら煽っても、たかが知れているのです。
歴史に学ばない国民ですから、今の経済状態がすべて自分たちの実力で達成されたと信じてるでしょうから、10年後には、少数の富裕層と大多数の貧民、中産階級は消滅しており、生活水準は地に落ちているでしょう。そのときの暴動は警察の手に負えないものとなり、朝鮮民主主義が達成されるかもしれません。
ただし、朝鮮政府は外国勢力に応援を頼むことも常で、これを機会に属国化の道を進むことになるわけです。
もちろん、わたくしの勝手な歴史解釈です。
統治能力が無いから、力の有る者に取り入り、自身が取り入った先で分別が無い為、人の上に立つのが当然と考える訳ですよね。
そんな民族に民主主義など無理、無理、無理。望んでも居ないでしょうし、意味も分からないでしょうね。何時も思うんですが、朝鮮人の文章は同じ言葉でも意味が日本と全く違うと思うんですよね『神とGOD』の差以上にね。全文翻訳ミスみたいな感じ。
多分、事大出来る相手が居る時は相手が潰れるまで事大と乗っ取りをし続け、事大する先が無い場合、恐怖政治が一番合っているのでは無いかと思います。実際、北朝鮮の方が良く統治出来ているんじゃないかな?朝鮮人だけの場合ですけどね。