責任という概念
「朝鮮人に【責任】の概念って、もしかして無いんじゃないのか?」
韓国人と話をしていると、話の頭と尻が違うことがあります。
「お前、さっき言ってたことと違うじゃねえか」と詰め寄ると、「あなたもそうですね」とか「それはそういう意味で言ったんじゃなかったですね」とか「そんなことは言わなかったですね」などと言い逃れようとします。
手の込んだ奴になると「私がそう言ったと言えば満足ですか」「そんなことにこだわるのは何か不満でもあるのですか」などと話を掻き混ぜ始めます。
「メシでも会話でも見境なく掻き混ぜるのは、自分の家の中でだけにしときなさいよ、薄みっともない」
こう言うと、彼らは一瞬沈黙します。おや、堪えたかなと思うと、やがてまた元のように元気にしらばっくれたり、話をまぜっかえしたりします。
それは相手に対する嫌がらせなのか、それともとことん自分の非を認めることが出来ない習性なのかのどちらかだと、今まで思っていました。
しかしもしかすると、彼らには【責任】という概念が根本的に無いのではないかと、ついさっき思いついたのです。
そう考えれば、例えば朝鮮人の日本に対する態度にしても、韓国政府や北朝鮮政府の国民に対する態度にしても、日本の会社を取引先にした韓国の会社の所業にしても、生ゴミ餃子や寄生虫卵入りキムチ製造業者の消費者への対応にしても、すべて納得がいくではないですか。
千年属国であった朝鮮は、属国であるがゆえに自分で責任を持つ必要も無く、そのため彼ら朝鮮人には【責任】という概念が伝統的に意識の中から排除された、と考えれば、彼らの無責任さを理解することは出来そうな気がします。
もちろん、だからと言って彼らの無責任さを許容するつもりは、毛ほどもありませんが。
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