各個に撃破では追いつかない
まず「2000年から毎年、フランス・パリ郊外で開催されている「Japan Expo」という博覧会で、韓国人が問題を起こしている件」についてですが、これは正直なところ、仄聞したことがある程度で、詳しくは存じ上げません。
ただ、日本をターゲットとした韓国のコバンザメ作戦は、こういうサブカルチャー部門に限った話ではなく、めぼしいと思われるあらゆる部門で行われており、ことさらにJapan Expoだけを問題視する理由はないのではないかと思います。
またJapan Expoというイベントの主催はフランス人ということですので、いくらテーマが日本だと言っても、日本が前面に立って韓国に向かって「ここはJapan Expoなんだから、お前ら来んな」と言って騒ぐのは、何やら筋違いな気がしなくもありません。
フランス側から日本側に対して、そうして欲しいという要請があるのなら話は別ですが、そういうお話があるのでしょうか?そうでないならば、日本側としては韓国に対してどうのこうの言うのではなく、主催者たるフランスに対して、正誤を粛々と伝えるに留めるべきではないかと思います。
そもそも「The 日本」、「Pure 日本」以外は日本と認めない!こんなの日本じゃない!日本のふりした外国は全部排斥しる!と、頼まれもしないのに日本がきーきー騒ぐことを、フランス人を含む外国人が、いくら日本びいきと言っても喜ぶとも思えませんしね。
誰による、誰のためのJapan Expoなのかということをメインに考えれば良いのではないかと思います。
次に、「朝鮮人のケンチャナヨと、日本人のボチボチとかホドホドや沖縄のテーゲーは、どのように違うのですか?」というご質問を戴いております。沖縄のテーゲーってのはよく存じ上げませんが、鹿児島辺りの「てげてげ」と同じように「大概」が方言化したものかと思います。
朝鮮人の「ケンチャナヨ」は、より正確にカタカナで表現するならば「クェンチャナヨ」となります。語源は恐らく「関係ないですよ」という意味の「クヮンゲオプソヨ」ではないかと言われておりますが、それを知る韓国人は極めて少ないと思います。
私が理解している朝鮮人の「ケンチャナヨ」は、ニュアンスは使用されるTPOに応じて微妙に変化しますが、英語で言う「No ploblem」よりは、「Take it easy」「Don't worry」的に用いられる傾向があるようです。つまり何か問題や懸念や不安が発生した場合、楽天的で肯定的な印象を持たせ、安心させようとする際に用いるフレーズです。
ただし、その時点で楽天的で肯定的に考えられる材料や理由が一切無くても、彼らは自分が安心したい、相手を安心させたいと思えば平然且つ積極的に用いますので、「ケンチャナヨ」が発動した結果が必ずしも好ましいものになるとは限りません。逆に、トラブルが発生することも多いと思います。
沖縄の「テーゲー」については、それが鹿児島弁の「てげてげ」と同じであるとしても、私は鹿児島人ではないので細かいニュアンスまではわかりません。が、語源が「大概」という日本語だろうと解釈すれば、「だいたい」ぐらいの意味ではないかと思います。
「ボチボチ」は、大阪弁では「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」という商売人の定番挨拶で有名ですが、私が理解している「てげてげ」に近いのではないかと思います。つまり、「可もなく不可もなく」ぐらいのニュアンスです。一所懸命仕事や勉強をしている(あるいはしようとしている)人に向かって、「まあ、ぼちぼちやんなはれ」と言うことも多いのですが、これもやはり「一所懸命なのは良いが、度を越さないようにね」ぐらいのニュアンスです。
「ホドホド」は、漢字で「程々」と書くように、「ちょうど良い程度に」ぐらいの意味で、「テーゲー(てげてげ?)」や「ボチボチ」の標準語版と私は理解しております。
このように、日本語の「テーゲー(てげてげ?)」「ボチボチ」「ホドホド」は、それぞれほぼ似たようなニュアンスではないかと思いますが、朝鮮語の「ケンチャナヨ」とは大きくニュアンスが異なると思います。
さて、ご質問への回答はここまでにしておきまして本題。
例えば、の話です。
例えば、日本人が外国人と結婚するとします。この時、外国人配偶者は、あえて日本国籍を取りません。何故なら、その外国人配偶者が祖国で活動する際に、日本国籍だと不便だからです。だからと言って、日本で外国人参政権の実現を声高に主張しようとも思いません。外国人が参政権をと騒げば騒ぐほど、日本人は頑なになるだろうことを知っている外国人も多いのです。
もし外国籍のまま参政権が欲しいのならば、声高に外国人参政権を主張して日本人を刺激するよりも、もっと安全で簡単な方法があります。それは、日本人配偶者を洗脳することです。日本人配偶者の持つ選挙権を、外国人配偶者が自分の意にままに使えるならば、それは実質的に参政権を得たのと同じことです。
あるいは。
子供が出来れば、話はもっと簡単です。子供には、当然日本国籍を取らせます。しかし、思想的には外国人として教育するのです。
通常、子供が学校へ行くようになれば、家庭教育よりも学校教育の影響力の方が大きくなりますが、日本の場合は大丈夫です。グローバリゼーションとか国際化などと言って、日本のことよりも他国や世界のことを重視する教育が行われているからです。「外国ではこうだ」と言えば、日本人はたちまちシオシオになります。
もしその外国人配偶者の国籍が特亞三国ならば、話はもっと簡単です。子供が通う学校ごと特亞中心の考え方へ誘導することが出来ます。四の五の言う日本人教師や保護者が居れば、こう言えば良いのです。
「日本は過去、我が国にこんなに酷いことをした。だけど私は、それを責めない。何故なら日本が好きだからだ。だから日本人と結婚したし、日本人と仲良くしようと思っている。それなのに、あなたはそうやって我が国と私を否定するのか。差別だ人権侵害だ謝罪し(以下略)」
こう言えば日本人の10人に9人は黙らせることが出来ます。そう言われて黙らない日本人は、10人の内1人居るか居ないかでしょうが、居ることは居ると思います。しかしそういう頑なな日本人を、外国人自ら責める必要はありません。放っておけば10人の内の9人の日本人が、その頑なな日本人を責めてくれるでしょう。
こうして少なくとも自分の子供が通う学校の一クラス分の子供たちを、その外国人の祖国中心の思想に染めることが可能ですし、上手く行けば教師や保護者も染まってくれます。そうなれば、あとは放っておいても連鎖的にその考えが広がります。
その学校に通う子供たちは、血統も国籍も日本人なのに、頭の中は外国人になるわけです。その子供たちが長じて選挙権を得れば、外国人中心の判断で選挙権を行使することを、十分に期待出来ます。
国際結婚がいけないとは言いません。しかし、同じ国、同じ言語を用いる男女であっても、結婚すれば一度は文化衝突が発生します。国や言語が異なれば、その衝突は尚更に大きなものになるでしょう。
その場合の解決法としては、互いに問題点を徹底的に話し合い、相互に譲歩出来る部分は譲歩し、出来ない部分は理解し合うことが出来れば理想的ですが、大抵の場合は理想通りにいきません。どちらかが一方的にまくしたて、片方は一方的に譲歩することが多いでしょう。
国際結婚でない場合は、少なくとも双方が日本人ということで、原則として日本主体の考え方になることに何らの問題もありません。しかし、国際結婚の場合は、外国人配偶者が日本主体の考え方を受け入れられない可能性もあるわけです。
その場合に、「あなたがホニャララ人としてそう考えるならそれはそれで仕方ないが、日本人はそうじゃないし、私は日本人だ」と言える日本人ならば心配は少ないのですが、そこまで言える日本人が多いとは、日本人のひとりとしてあまり思えません。
何につけ波風立てることを日本人は嫌います。国際結婚の夫婦間で対立が発生した場合、「自分が少し我慢すれば家庭内の平和は保たれるのだ」と思ってしまうのは、日本人と外国人のどちらかと言えば、多分に日本人の方だと思います。
そうやって、少しずつ日本人配偶者の譲歩を獲得していけば、最終的に外国人配偶者が日本人配偶者から完全譲歩を勝ち取ることはさほどに難しいことではないと思います。これは、モラル・ハラスメントの手法でもあり、弊ブログが、一見お門違いに思えるモラル・ハラスメントブログをリンクしているのは、そのためです。
外国人と結婚するならば、日本人と結婚する以上に自分が日本人であることを意識し、確立させないと大変危険ですし、特亞人のように、「日本人に日本の過ちを教えてやらなければならない」とナチュラルに考えている外国人が相手ならば、その悪影響は後世数代に及ぶばかりではなく、当代の横範囲にも広がることになるしょう。
日本には、服を着替えるように国籍だけ変えて参政権を得る外国人もいますし、外国籍のまま参政権を求める外国人もいますし、前述したとおり、自ら矢面に立って参政権を求めはしないが、搦め手から参政権を得ようとする外国人もいます。
外国人参政権ひとつをとっても、こういう多方面からの攻撃があるわけで、馬鹿正直にそれぞれに戦力を割いて正面から向きあうのは労多くして得るものは少ないと思います。ではどうすれば良いか。
察しのよい皆様ならば、その答えは既に頭の中に浮かんでいることと存じます。
コメント
重箱の隅を突く様で申し訳ありません
>グローバリゼーションとか国際化などと言って、日本のことよりも他国や世界のことを重視する教育が行われているからです
少し前に教育基本法が改正され、所謂愛国心教育というものが明確に見られるようになりました。しかし貴方が仰るとおり、グローバリゼーションという要素も見られます。
日本の伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と我が郷土を愛すると共に、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う云々だったと思います。
特に他国だけを、または日本だけを重視する、という教育ではないと愚考します。
なるほど~ そうやって静かな作戦もあるんですね… 怖いな。
これって教師がかの国の思想をもった在日○国人なら特にヤバイですよね
在日○国人でも日本の教師になれる現実が怖いです(-_-;)
ちなみにもしご存知なら教えて頂きたいのですが
私立の学校でも↑の人達が教壇にたてるのでしょうか?
なんか 子供に公立に行かせるのが不安になってきまして…。
はじめまして。
ぼちぼち、ほどほど、てげてげ等と、ケンチャナヨの違い、
大変興味深く拝見しました。
ケンチャナヨは「お前が言うな!」なケースがすごく多そうで、
いかにもトラブルになりそうですね。
ところで、リンクされているモラル・ハラスメントブログ、
以前、別のルートで見つけて貪るように読んだ
ブログだったことに気付き驚きました。
貴ブログで、似たトーンを感じることがあったのですが、
その理由がわかり、腑に落ちた次第です。
特亞人の振る舞いの特徴を知るには、モラハラのことを知るのが
一番の近道だと思っています。ひいては、外交について学ぶには、
モラハラのことを学ぶのが一番良い方法だと思っています。
私はモラハラのことを調べることから出発した人間なのですが、
見聞きする特亞人のメンタリティに同様の違和感を感じたため、
そっちも自分なりに興味を持つようになりました。
その結果、
「民族レベルでそういう障害を抱えている人たちがいる」
(私は、人格障害のベースには発達障害があると思っています。
脳の器質的な障害の上に、異常な躾がなされることで完成。)
という結論に辿り着いてしまい、愕然としました。
そういうふうに完成してしまっている生き物と暮らして
自分の主張を通すなんて、できる気がしません。
いかにして、関わらないようにするか。
これに尽きると思いました。
いきなりやってきて、自分の考えを長々と書いてすみません。
それでは。
だいぶ日が経ってしまいましたが、新年明けましておめでとうございます。昨年は…いや、昨年だけではなく、数えてみればここ何年間ものことですが、朝鮮文化および朝鮮人について多くを学ばせて頂き・また、僕自身の考えを深めるきっかけを与えて頂き、ありがとうございました。本年もかわらずよろしくお願いいたします。
さて、エントリーの中でも触れられている国際結婚ですが、「異文化交流」「国際交流」の美名の下、国際結婚──自分とは全く違った世界観の持ち主と人生を共にする──ということをあまりに軽々しく考える(というより、考えなしに行う)風潮が世にはびこっているようで、他人事ながら心配してしまいます。ベストセラーになった『ダーリンは外国人』や、最近ではwebマンガの『中国嫁日記』など、国際結婚の陽の面ばかりをクローズアップしてとりあげ(娯楽作品なので仕方のないことだと思いますが。僕も娯楽としては両作品とも好きですし)、まるで異文化に育った人間と暮らすことが、非日常的な刺激を日常的に手軽に味わえる手段であるかのようにミスリードされている現実もあると思われます(特に『ダーリン~』は山手線の車内放送までされています。なんだか電車に乗るたびに強制的に見せられているようで少しげんなりすると共に、日本人の善男善女に対する少なからぬ影響を考えて余計に気が滅入ります)。
僕もfetia様と同様に朝鮮という異文化を見つめ続けてきました。そしてこれほど地理的に近い場所にある国の文化にさえ、学べば学ぶほど無意識のレベルにまで及ぶ世界観・人間観・その他数えきれぬほどのあれこれに関する両国文化の断絶を痛感し、長期的かつ深い関係を築くことの困難さ(そしてしばしばその無益さ)を思い知らされます。
一緒に食事をしている韓国人が食べながらクッチャクッチャと大きな音を立てていても、僕は不快には感じません。それが朝鮮文化における「美味しく食べている」というアピールであると知っているからです。また、僕が友人として受け入れた韓国人が僕の知らないうちに机の上から小銭を盗っていったのに気づいても、呆れたり怒ったりはしません。それが「あなたは私にとってウリ[私・我々]に近い存在ですよ-」という親愛の表現だと知っているからです。
かように当該文化と日本文化の断絶について充分な予備知識があっても、それでも韓国人と本当の意味で深い関係になるのは困難だと感じます。しかし、普通の日本人はそこまで考えず、非常に気軽に(申し訳ないことながらそうとしか見えません)国際結婚をしてしまいます。それは僕などから見れば、森で見つけたキノコを、食用かどうかも分からぬまま口に放り込むようなものです。まあその結果、ときどき下痢したり入院したり死んだりしているのでしょうが。そうなっても、その原因がキノコをあなどっていたせいだとは気づかずになんとなくそのまま行くケースが多いのでしょうね……。相変わらずの長文失礼しました…これはもう病気だと思って下さひ…。
はじめまして。去年の秋にこのブログを知り、始めから読ませてもらいました。参考になる日記、感情を揺り動かされる日記、とても面白く拝見させて貰ってます。
私は鹿児島人で、話の核では無いのですが「てげてげ」を取り扱っていたようなので、思い切って書き込みしました。「てげてげ」は解釈は大まかに2つあり、「テキトー(適当でなく)」「とても」です。
テキトー「てげてげでよかたっが。」(テキトーでいいよ)
とても「お前、てげイラまわるな」(お前、とてもイラつかせるな)
といった感じで、ケンチャナヨとは違うと思います。
どうでもいい事を長々とすいません。携帯からの書き込みの為見にくいと思いますが、勘弁して下さい。これからも読み続けます、頑張って下さい。
> じゃリン子テツ様
> 森で見つけたキノコを、食用かどうかも分からぬまま口に放り込むようなものです。
うひひ。
管理人様に匹敵する秀逸な表現に、つい声を出して笑っちゃいました。www
各人の覚醒に期待すべき、と感じます。
歴史の真実やら、多文化共生の功罪やら、国籍の重要性やらを
時間と情熱をかけて勉強した上で、その成果を以って他人を啓蒙する。
正しいのでしょうが・・・・
知れば知るほどに、簡潔な結論なぞ無い事が判り、
かつ、他人を変える事の難度が判り・・・
人の心を動かす為には自信満々、断言すべき。
だが、断言できる事なぞ無きに等しく、其れを遣るのは嘘を吐くのと同義。
という矛盾に突き当たる訳で。
真実を求める道の険しさを知れば、其の道を行け!と他人に勧めるのは現実的じゃない、と感じてもしまうのです。
ならば、皆に期待する目覚め、とは?
正義の味方なぞ居ない、という認識かと。
皆、得をしたい。
だから、嘘を吐く。他人に。自分自身にすら。
歴史問題の反省やら多文化共生の素晴らしさやらを説く連中を見れば判ります。
自分の結論を補強する材料のみ、採り上げるその態度。
「正しく進歩的」な私、という虚像を被り、以って自己満足を得る。
求めるは真実に非ず、己の利得のみ。
他人の言を鵜呑みにするな、と纏めてもいいでしょう。
ノストラダムスの戯言を、フランス王室のお姫様は信じた。パリの宿屋の女将は相手にすらしなかった。
という話を聞いた事があります。
社会に出て、多くの人と交わり、人間を知る。
それは大事だ、という一例でしょう。
さらに一歩踏み込んで、他人のみならず、自分自身も疑えるようになれば、
目が覚めた、と云えるのではないでしょうか。
自分も、他人と同じ「人間」なのですよね。
一寸、大雑把でした。
補足すると・・・
相手の言を真摯に受け止める必要って有るんでしょうか?
ノストラダムスの予言詩を疑う為に、
以後の歴史と詩の整合性をチェックしたり、
占星術を勉強して、彼の遣り方をチェックしたり、
そんな手間をかけるのは、如何でしょう?
自論を開陳している人間、その目的を類推すればいいのでは?
彼の動機を。彼が追い求める利益を。其れを見極めれば。
相手の主張の詳細まで踏み込む必要、あるんでしょうか?
勿論、相手の土俵に立ち、ガップリ四つに組んだ後に寄り切れば
其れが一番カッコ良く、正しいのは云うまでもありません。
が、それには膨大な時間が必要です。
我々は人間。残り時間には限りがあります。
故に、神の如く正しく事に当たる、のは贅沢で無駄な命の使い方です。
(学究の徒として、自分の利を度外視して人類全体の利を追うのなら、盛大に自分の時間を無駄使いすべきですが)
ノストラダムスの動機が金と名誉ならば、そんな個人的利益に協力してやる必要もないのです。
私には何の利も無いのですから。
朝鮮人に謝ったり、移民を受け入れたりで、利を得る人もいるでしょう。
ならば当然、彼らはそういった主張もするでしょう。
でも、私は損こそすれ得しない。だから同意しない。それだけの事ですね。
皆が普通に損得勘定するだけで、一部の変態に世を牛耳られる事もなくなるのでは?
むらきゅうり様
>皆が普通に損得勘定するだけで、一部の変態に世を牛耳られる事もなくなるのでは?
その損得というのはTPOで立場が目まぐるしく入れ替わるし、大半の人にとって
どーでもいいことだったりしてしまうので、難しいですね。
風が吹いても、桶屋が儲かることまで、想像つかないです。
だって、今日の仕事や、明日の学校、日々の生活のほうが優先事項でしょ?
また、損得だけでカタがつくなら、ここまでややこしいことにはなっていないんですよ。
人間は感情の生き物だから。
それを知っているからこそ、連中は魔法の言葉を使うのです。
人権が、人道的に、外国では、etc~
そして、手段と目的が逆だったり、真の目的を隠したまま、一見もっともらしい
主張をして既成事実を作ることに地道をあげるのです。
一見 徒労にみえても正攻法に勝るものはありません。
横着すると、ヤツらはそこを突いてきます。
そして、それが如何に取るに足らない、下らない、信用するに足りない物だと
吹聴して回るわけです。
これはテロに対する対応に似ています。
防御側は24時間一秒たりとも油断を許されないのに対し、テロをする側は、
1秒の油断を誘えばいいという、実に不利な構図です。
非常に残念ながら、一つ一つ確実丁寧に潰していく他方法が無さそうに思えます。
>普通に損得勘定
>むらきゅうり さん
仰ることはごもっともだと思いますが、それは諸刃の剣だと思います。何故なら、おそらく民主党に投票し加担するはめになった人々も「損得勘定」で投票した、と思うんです。例え労組等々のシガラミによってであろうと、です。
普通に日本の教育を受けて、新聞読んで、テレビ見て普通に損得勘定すれば、「ミンスにやらせてみよう」なんつー結論にw
あと、どこの誰が何の目的であろうと、「その者に協力する」というのはその者に利する行為であると思います。
どちらかと言えば、「普通に」というより「正しい」という表し方が良いと考えます。
無躾に横から大変失礼いたしました。
生駒市が外参権を
「生駒市:外国人地方参政権」市民の意見は無視
大多数の市民が反対したら困る
http://www.yamatopress.com/c/9/16/3367/
もう何と言うかね・・・
生駒市役所の職員は憲法違反である事を理解していないみたいです。
beerski 様
>管理人様に匹敵する秀逸な表現
(( ;゚Д゚))アワワ…と、とんでもない過大評価です。でもありがとうございます。今日はニヤニヤしながら布団に入れそうです。
こちらの月見櫓様には、ずいぶん前(まだfetia様がコメントに全てお返事をくれていたころ)から書き込みをさせて頂いていまして、ちょっとググってみれば2006年9月の自分のコメントなんてのがひっかかります。
fetia様は日韓チャット、僕は翻訳掲示板をメインにコリアウォッチを重ねてきまして、するとホームグラウンドは違えど年を経るたびに基本的な朝鮮文化観は似通ってきます(アノ国は大部分がハリボテですからw)。諸問題や疑問についての答えがぴったり同じだったりもしてきます。もちろん違う人間である以上、意見や結論の食い違う部分も出てきますが、それらはほとんどの場合、朝鮮うんぬんよりもっと深い、土台となる人間観や世界観の違いからくるレベルのものなので、人様のコリア考察サイトで議論すべき事柄でもないし、また(議論が膨大になるため)できるものでもありません。
すると、同意見であるエントリーに僕がしたり顔で屋上屋を架すのもナンだな~となって、さらにコメントをする機会が減ります。その結果、普段は記事とコメントに目を通し、ブログランキングをポチッとやって終わるだけなのに、たまに書き込むことはといえばエントリーに対する「これはちょっと浅いレベルの勘違いがあるのかな」とか、fetia様にケチをつけるかのような書き込みばかりになってしまいます。
しかしこれは声を大にして断言しておきたいのですが、エントリーについて「これはちよっと違うんじゃないかと」というようなことを正直に書いたあと、fetia様が僕を遠回しにでも皮肉るようなエントリーを書いたり、コメント欄のみなさんから袋だたきに遭うといったことは一度たりともありませんでした(特にブログ主に対する論難は嫌われがちなのでビビリまくりながら投稿ボタンをクリックしていたのですが、叩かれるどころか賛同して下さる方が何人も現れたり、本当に嬉しい体験でした)。だから僕は身をもってfetia様が常々言明されている「異論・反論・擁韓さん大歓迎」というのは掛け値なしの事実だと言い切ることができます!(ごくまれに在日認定されたり新人さん扱いされたりもしましたが、まあそれはご愛敬の範囲ですw)
あけましておめでとうございます。
特亜洗脳、特に朝鮮洗脳は「大阪」では公立義務教育からおおっぴらに行われえ地増す。大阪市内の生野から東および南は「彼ら寄生民族」のテリトリーと化しています。西部地区も実際は侵食されていますが、東や南ほどおおっぴらに動いていません。(国旗掲揚は行われています。八尾あたりではなんと属国国旗を掲揚も・・・)
彼らは教育の現場が「売国系左翼」であることに便乗し、子供たちを洗脳せんと日夜奮闘しているようです。そのうち、いくらかはそのままDQN化します。
ただし、我々は日本人。ある程度の年齢になると、事の真相が気になります。押し付けの知識への反抗も含まれているかもしれませんが。この傾向は大阪のみならず京都にも多分にあるようです。
結果を言いましょう。日本人のみの会話ではっきりしたことは、彼ら特亜人はびっくりするほど嫌われています。言葉にも態度にも出しません。ただ、存在を唾棄すべき対象としてみているだけです。彼らの横暴は十分すぎるほど知っています。
全共闘世代が一線から退いたら遠慮しないでしょうね・・・
あ、総数が多いせいか、稀に本当にまともな朝鮮人もいます。最も、彼らは「元朝鮮人」であり、偽名も名乗ってませんがね。