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4年後の東京オリンピックに向けて

リオのカーニバル、じゃなくてオリンピックがとうとう終わりました。総じて、日本はなかなか良い成績を残したのではないかと思います。私が個人的に興味を持っていたのは水泳と馬術ですが、水泳はかなり好成績でした。

馬術?参加することに意義があるということでw

馬術は、馬という大型動物が競技に参加する唯一の種目なので、競技する人間と共に馬の資質と能力、技術力が大きく問われます。更には馬の購入・調教・管理・維持にとんでもない資金と労力とスペースを要するということもあり、それが当然という長い歴史と文化と、人々の馬に対する深い理解がある国でなければなかなか勝てる種目ではありません。それを思えば1932年ロサンゼルスオリンピックの馬術障害飛越で、日本の西選手が金メダルを獲ったのがどれほどの偉業かを、いつも思います。

ところでリオ五輪閉会式でのトーキョーショーは、何とも日本らしいと言うか、日本がまたやりやがったと言うかw いずれにしても日本が持つ世界共通言語の豊かさを改めて確認しました。

さて韓国。相変わらずパッとしません。今の韓国には「貧すれば鈍す」という言葉がピッタリです。かつては蜜月と謳われた中国との関係も、THAAD問題以来ギクシャクしているようです。もちろん日米との関係も今ひとつ。内憂外患の火だるま状態です。

「ヘル(Hell)朝鮮」という言葉もすっかり定着したようで、韓国の若者は先の見えない現状にすっかり倦んでいます。こうなってくると予測されるのは、韓国の青年たちの海外脱出です。

韓国人は妙なところで前向きで、妙なところで後ろ向きです。基本的に民族主義なくせに、妙なところで個人主義的なところを見せるとも言えます。

韓国がダメなら、ダメな韓国を何とかしようとするとか、そこまでポジティブになれなくても、ダメなりに我慢して韓国で頑張ろうという覇気を見せる韓国の若者は極めて少数で、ダメな韓国を見限って期待が持てる素晴らしい別の国に行こうという方向に努力する韓国人が多いという印象を私は持っております。もちろん、一番多いのはダメな韓国で、「何故ウリはこんなダメな環境にいなければならないのだ」という「恨(ハン)」を抱えながら鬱々と暮らす韓国人でしょうけれど。

その「ダメな韓国を見限って、期待が持てる別の国へ」という韓国人が目指す国のナンバーワンは、おそらくアメリカでしょう。しかしアメリカには既にそういう韓国人が溢れ返っており、なかなか容易には受け入れてもらえません。

そこで第二候補としてあがるのが、おそらく日本です。短期滞在目的と言えば簡単に無査証で入国が出来、三ヶ月に一度里帰りすれば、無査証のままでの長期滞在が可能です。一度入国管理に問い合わせたことがありますが、「あまりにも何度も無査証での入出国を繰り返していれば、何度目かで入国審査でのチェックは当然厳しくなる」と言っていましたので、無査証のままで事実上の永住は難しいかもしれませんが、一年ぐらいなら十分可能でしょう。

一年も日本にいれば、ツテもコネも出来ます。と言うか、日本にはそういう受け皿がありますし、日本人との結婚を目指す韓国人も珍しくありません。

そうやって韓国から若者がどんどん国外に出て行けば、どうなるでしょうか。

まず行き先となる国には、もちろん大迷惑となります。彼らはどこへ行こうと韓国人ですから、周囲の迷惑ということを念頭に置くことはありません。全てを自分の良いように考え、その通りに行おうとします。

アメリカがそれで大変な迷惑を被っていることは、韓国ウォッチャーには知られた事実です。それでもアメリカは移民国家ですから、多民族多文化が当たり前。その葛藤の対処法もそれなりに充実しているでしょう。

しかし日本はそうではありません。日本に居座っている在日の引き起こす迷惑行為だけでも近隣住民には大きなストレスとなっているのに、この上更に韓国人が押し寄せた日には、日本人とだけではなく、既に居座っている在日、いわゆる「オールドカマー」との対立や悶着も大きな問題になるでしょう。

問題は、韓国人が向かう先だけのことではありません。韓国の次代を担う人材が大量流出するわけですから、韓国自体も弱体化していくでしょう。韓国を脱出するだけの気力と能力を持つ韓国人はこぞって韓国を捨て、残るのはそんな気力も能力もない韓国人ばかりとなります。それでなくても韓国は少子高齢化が恐ろしいまでの速度で進行しているのです。

韓国は準戦時国家です。国家の弱体化は、何があっても回避しなければならないことのはずです。もし朝鮮戦争が再開されれば、現在のようなぬるま湯「ヘル朝鮮」ではなく、本物の「地獄」を見ることになるでしょう。

私は以前から移民受け入れについては猛烈反対派ですが、それは移民が単に受け入れる国にとっての問題だけではなく、移民を出す国にとっても悪影響が大きいと思っているからです。

国が分かれているのは、単なる偶然ではありません。長い歴史の中で生じた必然性があってのことです。「グローバル」とか「ボーダレス」などと嘯いてそれを人為的に破壊することは、長い歴史の中で起きた諸問題を改めて再発させることになるでしょう。

韓国がそれを繰り返すことになったとしても、それは韓国の選択ですから日本には口出しする権利も義務もありません。しかし「ヘル朝鮮」などと言って韓国を脱け出し、日本を目指そうとする韓国人を受け入れるか弾き返すかは、日本が決めることであり、日本の今後にも影響することです。

4年後の東京オリンピックに向けて、日本は今後外国人観光客の受け入れ、いわゆる「インバウンド誘致」の強化を大々的に行なうことが予想されますが、それに乗じて犯罪目的(不法就労・不法滞在は犯罪です!)での入国者も増大することは、間違いありません。

今後はインバウンド誘致の強化と同時に、望まれざる入国希望者を徹底排除することも同時進行で行なうことが出来るよう、日本政府には関係各庁が相互に連携出来るようなシステムを考えていただきたいと、切に切に願う次第です。


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韓国人は変わらなければならないのか

人間の形をしているだけでも紛らわしいのに、日本人と同じ黄色い肌に黒い髪と黒い瞳なのが災いして、日本人にとって韓国人というのは誠に厄介な生き物です。

ネットで韓国人についてどんなに詳しくなっても、現実の韓国人を見ればどこから見てもちゃんとした人間に見えます。しかも日本人と同じ特徴を持っているのです。それが日本人とはほぼ真逆の習性と思考を持っている感情と本能を軸に動く猛獣だとは、普通の人なら思いつきもしませんし、ある程度韓国人の中身を知っている人でも、実際に韓国人と会ったり話したりすれば、最初の内は拍子抜けするほど普通の人間に思えるでしょう。通常、彼らの言うことは日本人が聞いても違和感のない常識的なことばかりなのです。

ところがしばらく関わりを持っていると、徐々に彼らの言動に違和感を覚えるようになります。言うことは極めて常識的且つ良識に満ちているのに、やることは極めて放埒なのです。最初は自分の勘違いかなとか、まあ誰でもたまには矛盾するようなこと言ったりやっちゃったりするよねとか、何とか好意的に考えるようにしたり見なかったことにしたり気にしないように努めているうちに、彼らはどんどん違和を感じる行動をエスカレートさせていきます。これはアカン奴やと気が付いた時には既に手に負えない状態になり、周囲に明らかな害を及ぼすようになります。

最初に違和感を覚えたその時にガツンと殴っておけば多少は扱いやすくなりますが、面従腹背も彼らの習性のひとつですから、ちょっとでも隙を見せればすぐにそこへ付け入ろうとします。

いずれにしてもどんな形であっても、一旦関わりを持てば周囲に良くて迷惑、悪ければ危害を及ぼすようになるのが韓国人あるあると言って良いでしょう。

蓼食う虫も好きずきと言うように、そんな彼らとわかっているのにあえて親しもうとする人がいます。確信犯的親韓とでも申しましょうか。その代表を挙げるとすれば、やはり産経新聞の黒田勝弘氏でしょう。

韓国人の正体を知らず知ろうともしないで親韓な人は日本にとっても韓国にとっても何の役にも立たないというか、むしろ日本人から見れば韓国人と同じような存在と思った方が色々捗りますが、韓国人を熟知した上で親韓という人の中には、日本のためにも韓国のためにも、韓国人に変わって欲しいと思っている人がいるようです。

韓国人をよく知っているだけに、自ら韓国人を変えてやろうなどと思うことはまずないようですが、韓国社会の変化を韓国人の変化と結び付け、非常にしばしば「韓国人も変わった」「変わりつつある」「これから変わっていくだろう」と唱えることはよくあります。それはその人が「韓国人に変わって欲しい」と思っているからなのでしょう。

確かに、時代に合わせて韓国人も変わった部分はあります。現在の韓国は物質的には極めて豊かと言えます。その点だけをとっても、布を染めることさえおぼつかなかなった時代と考えや行動が全く同じと思う方が不合理です。

それでも韓国人の芯の部分は微塵も変わっていません。芯の部分とは彼らの「ウリ/ナム」思想であり、「恨(ハン)」であり、「自分は常に正しい」という意識です。

それらがある限り、韓国人は絶対に変わることが出来ません。では、それらが無くなれば韓国人は変わることが出来るのかという話は、今回はいたしません。

今回は、「韓国人は変わらなければならないのか」ということを考えたいと思います。

私たちも、日韓チャットで韓国人を見ている時は毎日のように「何でこいつらはこうなんだ」と言い合っていました。私たちから見ても、韓国人は自ら生き難い生き方をしているように見えたからです。

彼らが少し考え方を変えれば、少し行動を慎めば、今よりずっと楽に、少なくとも辺りと衝突せずに生きていけるだろうに、彼らは賢く上手く立ち回っているつもりで、愚かで下手な生き方を選んでいるようにしか見えなかったからです。

皆がほんの少し我慢すれば、少しずつ譲れば、韓国社会はもっとずっとスムーズに回るはずだということが日本人から見れば明らかなのですが、韓国人は絶対にそうしません。他の人には我慢を強要しても、自分は一切の我慢が出来ませんし、他人が譲らないことを非難はしますが、自分が譲ればそれは負けだと思って譲りたがりません。

そういう彼らを見ていると、日本人はつい「ああすれば良いのに」「こうすれば良いのに」と思い、中にはそれが親切だと思って韓国人にそうするように説く日本人もいます。

確かにそうすれば韓国人も生きやすくはなるでしょう。少なくとも、今よりは。

しかし他者から「こうしなさい」と言われてそうすることが、韓国人にとって良いことなのでしょうか。それは韓国人に「韓国人であることをやめなさい」と言うに等しいことではないのでしょうか。

韓国人が自ら「こうしなければならない」と思ってするのであれば話は別ですが、日本人を始め外国人が韓国人に向かって「ああしなさい」「こうしなさい」ということは、韓国人を韓国人でなくそうとすることにならないでしょうか。

これは「韓国人は今のままでいれば良い」と言ってるのではありません。私も日本人ですから、韓国人を見れば今でも「ああすれば良いのに」「こうすれば良いのに」と思いますし、このブログはそう言っているブログとも言えます。

ですが「日本人からこう言われたから」「日本人がこうしているから」などという理由で韓国人が自らの行ないを改める(ことを期待する)のは、韓国人の日本人化を望んでいることにほかならないのではないでしょうか。

そう考えると、韓国人は「自ら気付き、自ら変わろうとするのでなければ」今のままの韓国人であることが自然で当然であると、少なくとも外国人である私たち日本人はそういう意識を持って韓国人を見る必要があるのではないでしょうか。

日本人は、つい自分たちを基準にして韓国人を考えがちですが、日本人から見てどんなに韓国人が苦しい生き方を選んでいても、それは彼らが自分で選んだ生き方です。親でもない日本がその生き方にあれこれ口出しする義理も権利もありません。

日本人はただ韓国人が今のままの韓国人である限り、日本人とは絶対に相容れない存在であるということだけを徹底的に知り、それに従って韓国人に対処することに専念すれば良いのではないかと考える次第です。


8/23午前11時現在、月見チャットは復旧している模様です。
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言葉から見る日本と韓国の自他の認識の違い

猛暑の日が続きますが、既に一週間ほど前からツクツクボウシが鳴き始めました。意外に今年の秋の到来は早いのかも知れません。

開催中のリオ五輪も折り返しを過ぎ、結構皆さんご覧になっているようで、体操の内村選手が個人総合で金メダルを獲った翌朝は挨拶代わりに「内村くんやったね!金メダル!」と三人から言われて、テレビを見ないために初戦辺りで内村選手が演技中に落っこちたことしか知らなかった私は結構面食らいましたが、日本選手団は総じてかなり活躍しているようです。

韓国はと言えば何だか絶不調の模様です。個人的にわずかながらも関心があったのは水泳ですが(そう言えば日本の荻野選手が金メダル取りましたねw)、ドーピングで五輪出場資格を失っていた韓国人選手が、韓国内で裁判までして出場資格を無理やり取り戻したくせに見事に予選敗退しておりました。

裁判までやったんなら、メダルとまでは言いませんが決勝進出ぐらいは出来ないと言い訳が立たんだろうと呆れ返りました。何でもロンドン五輪でメダルを獲った選手らしいですが、あれではドーピングでメダルを獲った、ドーピングがなければメダルどころか決勝進出さえ覚束ないというのを証明したようなものです。

この選手は東京五輪で雪辱するとか言ってますが、一度クスリに頼れば身体は確実に蝕まれます。だからこそドーピングは禁止されているのです。韓国は水泳選手の層が薄いので4年後の東京五輪出場は可能かもしれませんが、一度でもクスリに頼ってしまった選手がクスリによって負った身体ダメージを回復させ、且つクスリによるアドバンテージ無しで世界を相手に争うのは、恐らく不可能でしょう。

韓国人ですから馬鹿正直にマイナスからのスタートで苦しいトレーニングを今から4年積み重ねることが出来るかどうかは甚だ疑問です。東京五輪に出場するならば、「バレなければケンチャナヨ」「これも勝つための努力」などと言って、再びクスリに手を出す可能性が高いのではないかと思います。

さて五輪談義はここまでにして韓国考察。

日本語と同様、韓国語にも敬語があることは韓国語を少しでもかじったことのある方ならご存知のことと思います。しかし日本語と韓国語の敬語で大きく異なるのは、その使い方です。

日本語の敬語は相対敬語と呼ばれるのに対し、韓国語の敬語は絶対敬語と呼ばれております。

具体的にどういうことかと言うと、例えば日本では会社の社長に来客があった場合、「社長の鈴木はまもなく参りますので、こちらでしばらくお待ち下さい」と言います。たとえ平社員であっても、「社長の鈴木様はまもなくお越しになられます」などとは絶対に言いませんというか、言っちゃいけませんw

これに対し韓国語では「キム社長様はまもなくお越しになられますので、こちらでしばらくお待ち下さい」という感じになります。日本のように「社長のキムはまもなく参ります」などと言えば、大変なことになるそうです。

これは日本においては「自己」と「他者」が明確に区分されているのに対し、韓国においては「ウリ」と「ナム」で人間関係を考えているからではないかなと、前回記事を書いた後にふと思いました。

前回記事でも書いた通り、韓国の「ウリ」というのは基本的に「自分自身」のことです。ただ日本人の考える「自分自身」とはその範囲が大きく異なります。と言うか「範囲」という概念がありません。「ウリ」と考えた相手は、自動的且つナチュラルに「自分自身」と考えます。

いくら韓国人であっても、最初はもちろん「自分自身」以外の誰もが「ナム」です。しかし一度話をして、自分と相手との関係を確認すると、その時点から相手は自分の(あるいは自分が相手の)「ウリ」となります。ですから、韓国人は初対面でいきなり名前だけではなく、年齢や職業、学歴などの個人情報を根掘り葉掘り聞いてきます。

韓国人的にはそうすることが相手に対する(あるいは自分に対する)礼儀であって、そうしないということは相手を(あるいは自分を)「ウリ」として認めない、即ち相手を(あるいは自分を)「ナム」として無視する対象であると意思表示することになり、大変な無礼になるという感覚ではないかと推察します。

日本でもしも秘書なり受付なりが「社長の鈴木様はまもなくお越しになられますので、こちらでお待ち下さい」などと言えば、その来客は間違いなくその秘書や受付個人だけではなく、会社全体の教養と体質を疑うでしょう。

それと同じく、韓国で「社長のキムはまもなく参りますので、こちらでお待ち下さい」などと言えば、その来客(が韓国人であればw)は「自分はこの会社全体から無視された」と感じ、不快に思うことになるのでしょう。

日本語の敬語では、来客から見た我が社は「他者」(「他社」でも良いですがw)という、来客にとっての別個の存在であることを認識していることを示し、会社全体として来客に対して謙ることで他者(他社)を尊重していることを表現するわけです。

対する韓国では、初めて見る来客であっても「ナム」として接することは大変な失礼に当たります。韓国人にとって「ナム」とは存在を認めない存在だからです。

「ナム」とみなすことが失礼に当たる以上、「ウリ」として遇するのが当然ですから、来客といえども「我が社」にとっては「ウリ」であり、「我が社」の「ウリ」であれば、来客であっても「我が社」で最も尊重されるべき「社長」より下の存在になるという理屈が、韓国の絶対敬語に現れているのではないでしょうか。

本来「言葉」とは、「他者」という「自分以外」の存在との意思疎通のために発達してきたものであり、「他者」の存在がなければ言葉など必要ありません。即ち、「言葉」を用いるということは「自他」を認識することと言っても良いでしょう。

しかし韓国人には「自他」という概念がありません。「ウリ」「ナム」とは「自他」という概念とイコールでは全くなく、「自分自身」と「それ以外」という認識なのです。

「自分自身」が相手ならば言葉が曖昧だったり意味不明だったりしても何ら問題ありません。「自分自身」が「自分自身」の意思を理解するのに「言葉」など本来必要ないからです。対する「それ以外」とは「存在を認めない存在」、即ち「無視する存在」ですから、意思疎通の必要性そのものが最初からありません。

そう考えると、韓国人の発する「言葉」が非常にしばしば意味を持たないのは、なるほどそういうことなのかと思ったり思わなかったりする次第です。


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ウリは常に揺るぎなく「清く正しく美しい」

弊ブログにおいては、同じテーマで3回連載すると飽きられる、という経験則があります。今回、「戦争の是非」について期せずして3度続けて記事とさせていただきました。当該テーマにおいてはコメントも多く議論は尽きませんが、3度続いたのでそろそろこのお題については一旦この辺りでブレイクを入れようと思います。

というわけで今回はちょっと前に戴いておりましたご質問、「ウリとは、「弱きを助ける正義の味方」、ナムとは、「間違った道を進んでいる者」と思っていますが、この認識であっているのでしょうか? 」にお答えさせて戴きます。

韓国人の「ウリ/ナム」については弊ブログでも何度となくお題にしておりますが、どうにもこうにも日本人にはわかりにくい概念のようです。

基本的には「ウリ=自分自身」「ナム=それ以外」と単純に考えれば良いと私は思っているのですが、日本人の考える「自分自身」と、韓国人の考える「自分自身」の範囲が大きく異なることを理解していない日本人が「ウリ=自分自身」「ナム=それ以外」と考えれば、それは誤解につながるだろうなあと、ご質問を戴いてから色々考えておりました。

日本人の考える「自分自身」とはどこまで行っても「自分自身」であって、他人までをも「自分自身」にカウントすることは基本的にありません。たとえ以心伝心、眼と眼で通じ合い、志を同じうする相手がいたとしても、自分は自分で他人は他人です。「親しき仲にも礼儀あり」と言うように、どんなに気心を通じあっていても、最低限の間と言うか距離を保つのが、日本人ならば当然です。

対する韓国人の考える「自分自身」に範囲はありません。「自分自身」が「自分自身」と考える範囲は全て「自分自身」となります。親や兄弟は当然として、恋人や配偶者も「自分自身」です。友人も「自分自身」です。但し、「自分自身」と考える相手の方が上位ならば、その「自分自身」は「自分自身」の「自分自身」ではなく、相手の「自分自身」となります。

こうやって文字にすると「自分自身」のゲシュタルト崩壊が起きそうですが、要するに韓国人にとっての「ウリ=自分自身」とは、主導権を持つ持たないはあるにしても、自分と他人が心身ともにひとつの存在になることと思っていただければ良いでしょう。

ものすごく大雑把に言えば、韓国人全体が「韓国人」という「ウリ」だと考えれば、誤解の余地は大いに残りますが、ニュアンスは通じるのではないかと思います。

さてご質問の「ウリとは、「弱きを助ける正義の味方」、ナムとは、「間違った道を進んでいる者」」という認識についてですが、これは間違ってはいません。ただ、ちょっとショートしているとは思います。

韓国人は、常に自分が正しいと思っています。もし自分が間違ったり過ちを犯すことがあったとしても、それはそうなっても仕方ない事情があったためで、その事情を勘定に入れれば、本来の自分は全く間違ってないし、犯した過ちは全て許されるべきだというのが韓国人の考え方です。

韓国人にとっての「ウリ」とは即ち「自分自身」のことですから、「自分は常に正しい」と考えるということは「ウリは常に正しい」と考えていることと同義です。あるいは「ウリ」が常に正しいので、「自分も常に正しい」と考えていると言っても良いでしょう。

現実の韓国人は弱きを見れば何はさておきとりあえず挫こうとすることが多いのですが、「弱きを助け強きを挫く」というのは韓国人の観念上の美徳となっています。余談になりますが「韓国人の観念上の美徳」は、極めてしばしば日本人の美徳と通じていることがあり、これが日韓の相互誤解を深めるひとつの原因にもなっております。

韓国人にとっての「ウリ」が常に揺るぎなく「清く正しく美しい」という前提に基づくため、「ウリ」が「弱きを助ける正義の味方」であるべきなのは、韓国人にとっては極めて自然な理解です。

対する「ナム」が「間違った道を進んでいる者」となるのは、「ウリ」という「常に揺るぎなく清く正しく美しい」存在に同化しない(させたくない/しようとしない)者ですから、当然何もかも間違っている者ということになるわけです。

「ウリ」は「弱きを助ける正義の味方」であるという理解は、韓国人にとっての「ウリ」が「自分自身」であり、且つ韓国人にとっての「自分自身」とは常に「清く正しく美しい」存在であることを前提としたものであって、一足飛びに「ウリ=弱きを助ける正義の味方」と理解すると、普通の日本人的には「(゚Д゚)ハァ?」となってしまいます。

韓国人同士の議論(と言うか単なる口論)において、しばしば先に「お前はそれでも韓国人なの?!」と言った方が優勢になるのも、「韓国人」という「ウリ」が常に揺るぎなく「清く正しく美しい」存在であるという前提が彼らの間で確立しているためでしょう。

韓国人にとっての「ウリ」は絶対にはみ出てはならぬ領域であって、もしはみ出る(あるいは弾き出される)ことがあればそれは韓国人としての死を意味すると言っても過言ではありません。

日本が好きで好きでたまらない韓国人が少なくないのに韓国から反日が一向に消えないのも、「ウリ」にとっての「日本」が「絶対悪」と定義されているからです。

個人としては日本を好ましく思っていても、「自分が「ウリ」から弾き出される=「ナム」となる」ことのないように、韓国人は反日をやめることが出来ません。逆に言えば、「ウリ」が日本を是とすれば韓国人は打ち揃って超絶親日派になる恐れは大いにあります。

現在の韓国の体制が崩壊しない限り「ウリ」が日本を是とするようなことはまずます起こり得ないと半ば期待を込めて思っておりますが、万が一現在の韓国の体制が崩壊し、韓国人が拠り所としている「ウリ」が変化せざるを得なくなれば、あるいはそういうパラダイムシフトも起こり得るかもしれません。

そういう意味では、日本に韓国の体制維持を支援する勢力が少なくないのも、ある程度は仕方ないのかなと思う部分もゼロではないのが、正直なところです。


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戦争を絶対不可侵の「悲惨」と規定する危険

前回記事で「負ける戦争をしてはいけない」と書いたら、「ならば勝てる戦争をバンバンやれということか」というご意見が来ました。余裕の想定の範囲内ですw いやー、こうもあっさりわざと揚げた足を取りに突進してきてくださる方がいらっしゃるとは。慢性ネタ不足の弊ブログとしては、捨て身のネタ提供を頂戴し感謝の念に堪えませんw

私は勝てる戦争ならバカスカやれなどとは微塵も思っておりません。基本的に戦争とは他に選択肢が無くなった場合の最後の手段です。謂わば「伝家の宝刀」です。「伝家の宝刀」をバカスカ抜いて斬りまくってたんじゃ、「伝家の宝刀」たる意味がありません。それは一年前の記事や、前回、前々回の記事をきちんとお読みになっていれば、小学生でも十分理解出来るよう配慮して書いております。

日本がどんなに戦争を回避する努力を尽くしても、相手のあることですから、どうしても戦争をしなければならない事態に陥る確率はゼロではありません。そうなった場合、それを負ける戦争にしないための備えをしておく必要は当然にあると主張しているのです。

これは左翼の皆様が「戦争法案」などと侮蔑的に呼称している「安全保障法案」と発想は同じだと思います。以前も申し上げておりますが、「戦争が出来る」ことと「戦争をする」こととは必ずしもイコールではないのです。

「負ける戦争をしてはいけない」ということは、平たく言えば「負ける喧嘩をしてはいけない」であり「勝てる喧嘩だったら見境なくやれ」ということではないのと同じように、「勝てる戦争ならばバカスカやれ」ということとイコールには絶対になりません。

そう考える方は、ご自身が格闘技などを習ってちょっと強くなったら、周囲の人に見境なく喧嘩を吹っ掛けて回る方なのでしょう。ちょっと腕に覚えのあるチンピラとかDQNには、そういう人が多いですね。実際、「ちょっと腕に覚えのあるチンピラとかDQN」と似た性質を持っている国が日本の周囲には幾つかあって、そういう国が現在しばしば日本に喧嘩を吹っ掛けてきております。

しかし「ちょっと腕に覚えのあるチンピラとかDQN」は、自分より腕力に秀でる相手に喧嘩を吹っ掛けるということはまずありません。相手の力を侮って喧嘩を吹っ掛けてくることはあり得ますが、そうなった時にそのチンピラやDQNより腕力に優れていることをわからせてやれば、彼らはスゴスゴと引き下がるものです。

むしろそのチンピラやDQNよりも腕力で劣る場合の方が、喧嘩(と言っても一方的にやられるだけでしょうけれどw)になるおそれは高いのではないでしょうか。

明らかに強い、あるいは喧嘩に負けないための不断の努力をしていることが明確な相手には、ちょっと腕に覚えのある程度のチンピラやDQNは喧嘩を吹っ掛けてはこないものです。

あと、揚げ足取りにお越しになった御仁は「戦争より悲惨なことはない」と主張されておられますが、そうでしょうか。戦争も、小規模な、しかし残忍な暴力事件も、当事者にとっては同じ程度に悲惨だと私は考えております。いや、ことによると小規模でも残忍な暴力事件の方が、当事者にとっては悲惨かもしれません。

当事者の多寡によって「悲惨の範囲」は当然変化するでしょう。戦争は規模が大きいので当事者も当然多くなります。けれど「悲惨の質」は、当事者の多寡とは無関係です。戦場で敵の銃弾に斃れるのと、無差別銃撃テロでテロリストの銃弾に斃れるのとでは、前者は悲惨でも、後者は前者に比べれば悲惨ではないのでしょうか。「戦争より悲惨なことはない」と考える人は、戦争反対を掲げながらその主張に従わない者を集団リンチしても、何の矛盾も感じないのでしょう。

戦争は悲惨です。しかし戦争にならなければどんな事態になっても悲惨じゃないと考えるのは、あまりにも現実を知らなさすぎます。

現実には、戦争以外にも悲惨なことは幾らでもあります。戦争もまた、現実における数ある「悲惨」の一つに過ぎないのです。その事実から目を逸らし、戦争だけを絶対不可侵の「悲惨」と規定することは、戦争以外の「悲惨」を自分以外の他者に押し付けても何らの矛盾も痛痒も感じないことになりかねません。

と言うか、事実今回揚げ足取りにお越しになった御仁はそういう方のようですねw

かつて韓国の詩人金素雲は「日本の「善」」を「他人の不幸、他人の悲しみを、そのまま自分のものとなすこと」と評しました。今の韓国人に、「何だ日本人だってウリと同じように自分のことだけしか考えないじゃないか」と侮られないように、「他人の不幸、他人の悲しみ」のみならず「他人の痛み」も自分のものとして考え、以て行動することを日本人として心がけたいものです。


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続・奴隷になって戦争回避

記事を下書きしていたら、PCが勝手に更新を始めたために、書きかけていた記事の8割が吹っ飛びました(´;ω;`)

と、とりあえず更新大幅遅れの言い訳をさせていただきまして、取り急ぎ本題に移りたいと思います。

前回の記事、「奴隷になって戦争回避」を書いた後も、私は「奴隷になろうが自分の息子を戦争にやりたくはない」という考え方について考え続けています。

コメントを下さった当人からのレスポンスがないので推測の域を出ませんが、当該記事の幾つかのコメントにもあった通り、この方の「戦争するぐらいなら奴隷になる方が良い」という考えはかなり本気なのだろうと私も思います。

それは「奴隷になる」ということに対する想像力の欠如というのも大いにあるでしょう。自分だけのことであれば、たとえ奴隷にされても戦争を回避する方が良いと言うことは出来るかもしれません。と言うか、実際にそういう方が弊ブログにコメントしたわけです。

しかしそういう方でも、自分の娘や息子が奴隷にされることになっても戦争は回避するべきだと言うのでしょうか。自分の子供だけではありません。親や兄弟、自分を取り巻く愛しい人親しい人たちをも皆、あらゆる権利と自由を失い、生きるための希望もなく、死んだ方がマシだと思っても自由に死ぬことさえ許されないような一生を送らせることを是とするでしょうか。

あるいは、「奴隷の境遇が悲惨だということは重々承知しているが、それ以上に戦争の方が悲惨だ」ということを強調したいがための、あえての極論ということもあり得ます。

これら以外に、私はこの人に「国家は何故戦争をするのか」ということについての理解不足があるのではないかなと思いました。

1990年台に活躍した爆風スランプというバンドに「東に島に豚がいたVol.3」という寓話仕立ての歌があります。詳しい歌詞は各自で検索していただくとして(記事内に全歌詞を載せるとJASRACから著作権法違反の警告が来るんですよ(´・ω・`))、大まかなストーリーは「子豚の三兄弟が住む東の島の王様が、「となりの国はなんだか生意気だ」という理由で戦争をおっ始める」というものです。

その歌を聞いた当時は、内容に疑問も違和感も覚えませんでした。むしろその単純で率直な主張に爽快感さえ覚えたような気がします。私たちの世代では、戦争とはその国の支配者や為政者の恣意で勝手に始めるもので、国民は何故戦争を始めるのか意味も理由もわからないまま否応もなくそれに従わざるを得ないものだと教えられていたからです。

しかし「となりの国はなんだか生意気だ」という理由で戦争を始めることは、少なくとも今後の日本では絶対にあり得ません。日本以外の大概の国でも、多分あり得ないでしょう。特亞に関してだけは、どんな角度で斜め上に飛び跳ねるかわからないので、断言はいたしかねます。

ですが特亞といえども「となりの国はなんだか生意気だ」という理由だけで戦争を始めることは、そう容易ではないでしょう。特亞がどんなに「日本は生意気だ」と思っていても、日本(とその同盟国)からの激しい反撃が確実である限り、また「となりの国は何だか生意気だ」というのが開戦事由になり得るとは絶対に考えないであろう国際社会の目がある限り、いくら特亞でもそう簡単にそれを理由に攻撃は出来ませんし、攻撃することがあってもそれを以て戦争と宣言することは絶対にありません。それは現在のリアルタイムの東アジア情勢を見ている方には、現実としてご理解いただけると確信します。

今月最初に「日韓国交の是非は感情論ではなく(損得)勘定論で」という記事を書きましたが、戦争もまた国家の交流の一形態、即ち外交の一種であることを考えれば、感情論ではなく損得勘定論で行なわれるべきものです。と言うか、戦争は極めて大きな経済活動でもありますので、損得勘定はむしろ基本とも言えます。

戦争は、「やりたい」とか「やりたくない」という感情でやるやらないを決めるものではなく、「やらざるを得ない」か「やらずに済ませることが出来る」かでやるやらないが決まるものなのです。

私たちの世代は、そういうことを学校で一切教わりませんでした。ですから「となりの国は何だか生意気だ」という理由で国の支配者が国民の意思を無視して戦争を始める歌を聞いても、何の不思議も違和も疑問も感じなかったのです。おそらく「戦争するぐらいなら奴隷になった方がマシ」という思想の方は、いまだにこの考え方なのでしょう。

何らかの事情でネットが全く使えない環境にいる方であれば、あるいは漢字の多い文章を読むことが出来ないなど、リテラシー上の理由があるのならば仕方ありませんが、弊ブログにコメントを投じている以上、ネットを使える環境にいることは確実ですし、リテラをご覧になっているのですから、漢字の多い文章もそれなりに読解出来るはずです。

にもかかわらず、「戦争は何故行なわれるのか」を知ろうともせず、「戦争反対」で思考停止しているのでは、怠慢による不勉強の謗りを免れません。あるいは、コメントをくださった方の本当の思惑は日本人を「戦争はいけない」で思考停止させ続けるための思想工作の一貫と言えば、考え過ぎでしょうか。

一年前の記事で主張したことを繰り返す形になりますが、「戦争はいけない」で思考停止してはいけません。してはいけないのは「負ける戦争」なのです。

「戦争はいけない」と嘯くだけで満足するのではなく、「負ける戦争」をしないためにはどうすれば良いのかを真摯に考えることが、これからの日本人には絶対に必要だと私は考えております。


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奴隷になって戦争回避

昔の記事にコメントが付くことは、それほど珍しいことではありません。今回、一年近く前の記事にコメントを頂戴いたしました。

コメントの大半はリテラというサイトからのコピペのようですが、最後の2行だけはコメントを投じた方ご自身のご意見でしょう。私はこの2行を読んだ時、思わず「正気か!」と叫んでしまいました。

【失礼ですが、戦争に反対しているからと、左翼左翼と決めつけないでいただきたい。
私は、奴隷になろうが自分の息子を戦争にやりたくはないです。 】

私は、戦争に無条件で賛成するものではありません。しかしながら如何なる事態に陥ろうと決して日本だけは戦争をしてはいけないという、謂わば「日本限定反戦原理主義」とでも言うべき思想も、持っておりません。

もし日本に戦争を吹っかけてくる国があり、如何なる平和的外交努力を尽くしても相手国からの武力行使が回避出来ない場合、日本もそれに武力を以て応じる必要は、絶対にあると確信しておりますし、それに備える必要も、当然にあると考えております。

無防備でいれば他国から絶対に襲われない」という主張もありますが、ホントにそう思う人は試しに無防備で深夜の繁華街の裏通りでも歩いてみると良いと思います。あ、まもなくオリンピックが始まるリオの方が良いかもしれませんねw

かつては「日本に戦争を吹っかけてくる国などない」というのが、左翼の基本的な主張でした。しかし現在、その主張は明らかに否定されております。もし今もまだそういうことを言う左翼がいれば、それは現在の国際情勢を全く知らず知ろうともしていない大馬鹿者か、日本に武力行使を企んでいる国の同調者と思って間違いありません。

そういう国があるという現実に照らせば、日本が戦争に応じることが出来る国である必要は、どうしても認めざるを得ません。それでも何が何でも、日本が戦争をすることは反対と言う人がいます。前掲のコメントをくださった方がそうです。

この方はその決意を、「私は、奴隷になろうが自分の息子を戦争にやりたくはないです」というコメントで表明してくださいました。

ところでこの一文は、2つの意味に取ることが出来そうです。まず「私自身が奴隷になることになっても」自分の息子を戦争にやりたくはない、という意味と、「私の息子が奴隷になることになっても」息子を戦争にやりたくはない、という意味です。

前者の意味でも後者の意味でも、この方の息子さんの境遇はあんまり芳しいものにはなりませんが、後者の意味だとすれば息子さん自身のご意見はどうなのかという興味は少しあります。

前者の意味であれば、息子さんは生まれながらに、あるいは親の付属物として、当人の意思とは無関係に自動的に奴隷の境遇に立たされることになるわけですが、もし後者の意味であれば、親の願い通り息子さんも戦争に行かされるぐらいなら奴隷になった方が良いと思うでしょうか。もしかすると無条件で奴隷になるぐらいなら、戦うことで自由を得る可能性に賭けたいと思うかもしれません。

もし後者の意味であれば、この方ご自身は奴隷になる気があるのかという疑問も生じます。もしご自身も奴隷になっても良いから戦争だけはしたくないとお考えであれば、誠に「良心的日本人」と呼ぶに相応しい方と言えましょう。

日本人に対して韓国人が期待するのは、まさにこの「奴隷になっても良いから韓国とは絶対に戦わない」という意思です。確かに、日本人全員が韓国人の奴隷になる決意を持てば、少なくとも韓国との戦争は必ず回避出来ます。

弊ブログとしては「日本人全員が韓国人の奴隷になる」などという考えには絶対に与しませんが、個人としてそういう考えをお持ちの日本人が自発的にそうしたいと考え、実行に移すことまで妨げるつもりもありません。

まずは「隗より始めよ」と申します。私は私の考えに基いて「他国人の、殊に韓国人の奴隷になるぐらいなら、戦ってでも自立を守るべき」と主張することを止めるつもりは全くありませんが、「自立を守るために戦わねばならないぐらいなら、他国人の奴隷になる方が良い」と考える方は、実際にご自身でやってみて、以て戦争の回避に少しでも貢献してみては如何でしょうか。

まさか「戦争回避のために自分以外の日本人が奴隷になるのは、たとえそれが自分の息子であっても構わないが、自分自身が奴隷になるのだけは御免蒙る」とは仰らないでしょう。


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日韓国交の是非は感情論ではなく(損得)勘定論で

いろんな意味で面白かった東京都知事選も終わりました。新都知事のお手並みに期待したいところです。

さて韓国。と言っても、韓国そのものは相変わらずネタらしいネタが見当たらないので(ひそかに中韓関係の悪化に期待注目してはおりますが)、これからの日韓関係について思ったことを述べてみようと思います。

iRONNA」というサイトがあります。「オンライン、オフラインの世界に散らばるさまざまな意見、解説などをまとめ、ユーザーに寄稿や議論の場を提供する総合オピニオンサイト」だそうです。

そこに「日韓和解は幻想だ 「強すぎる日本」を構築せよ」という記事がありました。いつの記事なのかちょっと日付が見当たらないので定かではありませんが、記事の掲載順を見ると今からちょうど一年前ぐらい、2015年の8月かその辺りのものではないかと推測されます。著者の経歴を見ると、朝鮮半島論の専門家ということです。

本物の朝鮮半島専門家ですから、私のような何のバックボーンもない野良ブロガーなど比較にならないほど経歴的にも知識的にも素晴らしく、当該記事についても概ね異論はありません。

ただひとつ引っかかったのが、「もう韓国とは国交断絶せよと説く人々がいるが反対だ」から始まる段落の内容です。

弊ブログを長年ご覧の方ならとっくにご存知のことだと思いますが、弊ブログは基本的に日韓の国交断絶賛成派です。但しそれは、「韓国が嫌いだ。韓国人の顔も見たくない。声も聞きたくない。もし触れられたら鳥肌が立つ。だから断交するべき」という意味で賛成しているのではありません。そういう考えに基づいた日韓断交主張については、私は否定的です。

以前から何度も申し上げている通り、国交は基本的には無いより有った方が良いものです。たとえその相手国が私たちの気に入らない国であっても、むしろ気に入らない国ならば尚更に、国交を結び大使を置いて相手の動向を監視出来るようにする必要があります。

そうしなければ、相手国が何をしても相手国内であれば日本は手の出しようがありませんし、そもそもその挙動を窺い知ることも困難になるのです。それが日本に少なからぬ不利益を与えることは、北朝鮮を思い出していただければ容易にイメージ出来るでしょう。

ですから原則論で言えば、たとえ相手国が韓国であっても北朝鮮であっても、国交は無いより有った方が良いことは多いのです。

なのに私が韓国との断交を主張するのは何故でしょうか。それは日本にとって韓国との国交のメリットとデメリットのバランスが、デメリットに偏っていると思われるからです。

もし前述の「日韓和解は幻想だ 「強すぎる日本」を構築せよ」と題する記事の「もう韓国とは国交断絶せよと説く人々がいるが反対だ」から始まる段落の主張が、日韓の国交を維持することのメリットとデメリットをひとつひとつ正確に比較した上で、メリットの方が大きい、あるいは多いから日韓の国交断絶には反対だと主張していたのであれば、朝鮮半島論の専門家の意見としてどれだけ参考になったでしょうか。

しかしこの記事では「国交断絶は、日本人の良さを自己否定するものだ。誠意と思いやりと自己規制をもとに戦後外交防衛政策をしてきたので、国際社会から認められているのが日本だ」と主張します。

続けて「日本が選択した戦後の選択を将来、韓国人が心の隅に置いてくれる日がやってくるかもしれない」というダメを押されて、私の著者に対する期待は崩れ落ちます。

この段落で語られる「誠意と思いやりと自己規制をもとに戦後外交防衛政策をしてきたので、国際社会から認められているのが日本だ」から、日本は韓国との国交を維持しなければならない、という主張に私は微塵も説得力を感じません。ましてやこの記事の著者自ら、日本の「誠意と思いやりと自己規制」を「日本人の良さであり、お人好しなところだった」と言っているのですから、これは即ち、「日本人はお人好しなままでいるべき」と言ってるに等しいと私は理解しました。

その後の段落では色々もっともらしいことを連ねておられますが、この「もう韓国とは国交断絶せよと説く人々がいるが反対だ」から始まる段落で全てが台無しになっています。

もし日本が韓国に対してどこまでもとことん「お人好し」を貫いてみせれば、国際社会は日本をどう判断するでしょうか。「日本のお人好しを良いことに韓国は好き放題やりゃあがって酷い奴らだ、日本のためにみんなで韓国をとっちめてやれ」なんてことには、多分ならないでしょう。

逆に「日本は韓国にあそこまでやられても呑気にお人好しのままか。ということは俺たちも日本に何やってもダイジョブなんじゃね?」となる恐れの方が、圧倒的に高いのではないでしょうか。

この著者は「戦略と戦術と計算が巧みな韓国と北朝鮮とのつきあい方は、日本が巧みな交渉術と国家戦略を前面に出して、その間に「強すぎる日本」をせっせと構築することだ」と締めくくっておられますが、「お人好しの日本」に「巧みな交渉術と国家戦略」を繰り出すことが出来るかどうか甚だ疑問ですし、「お人好しの日本」が「強すぎる日本」になるのも、言うほど簡単だとは思えません。

日韓断交は、感情的な衝動で行なわれるものではなく、冷徹な損得勘定に基いて行なわれるべきものだと私は考えております。

日韓の国交による日本にとってのメリットとデメリットを機械的に計算して、メリットが勝るならばデメリット対策は必要ですが国交は継続するべきですし、デメリットが勝るならばメリットを失う痛みに耐えて断交するべきだというのが、私の考えです。


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以前も以後も韓国は不変

韓国の憲法裁判所が「金英蘭法」と呼ばれる法律を合憲と判断し、9月28日から施行されることが決まったそうです。

「金英蘭法」とは正式名称を「不正請託及び金品等授受の禁止に関する法律」といい、公務員・公共機関職員・報道関係者・私立学校および私立幼稚園の役職員など全国4万機関240万人余り及びその配偶者までを含めた、推定400万人を対象とする贈収賄に関する法律です。「金英蘭法」と呼ばれるのは、この法律の草案作成者が金英蘭という議員だったからです。

韓国は伝統的な賄賂社会で、1970年台の後半にソウルで駐在員の妻としての生活を送っていた日本人女性が書いた「ワンダーランド・ソウル」という本にも、韓国での自動車運転免許の実技試験の際には、合格するために試験官に賄賂を渡せと現地で知り合った韓国婦人たちから盛んに勧められたという話が載っていました。

「ワンダーランド・ソウル」では、著者は悩んだ末に試験官に賄賂を渡そうとするのですが、試験官が毅然としてそれを断ったというエピソードになっております。また著者に賄賂を贈るようにけしかけた韓国婦人たちも、著者からそのエピソードを聞いて「良かった」と喜んでくれたという、ちょっといい話っぽくなっていました。

しかし実際問題として、韓国では賄賂が普通に横行しておりました。それは少なくとも韓国人同士や、行きずりの外国人客相手であれば罪悪感や背徳感を伴うものではなく、その立場にある者の当然の権利という感覚でした。

今はそうでもないと聞きますが、ちょっと前までの韓国では警察官は違反を見逃す代わりに賄賂をせしめるのが普通であり、だからこそ薄給にも、また蔑視(韓国では警察官はあまり尊敬されない職業のようです)にも耐えられたと韓国人から聞いたか、何かで読んだ記憶があります。

薄給と言えば、今でもそうなのかわかりませんが、やはり少し前までの韓国では学校の教師もずいぶんな薄給だったそうですが、生徒の親からの付け届けが薄給を補って余りあるという話もよく聞きました。

しかしグローバル化が進む昨今、韓国内からも旧態依然とした賄賂社会を是正すべしという声があがり、今回の「金英蘭法」の成立とその合憲判断に至るというわけです。

と、こう書けば「おや?韓国人もやっと少しはマトモになってきたのかな」と早とちりしそうですが、「さう旨くはいかない」のが人の世です。ましてや人でなしの世なら尚更というもので、韓国人は非常にしばしば法律的あるいは道徳的に正しいことを言いますが、自分だけは例外と考えるのが普通なのです。

ですから、「金英蘭法」によって贈収賄が禁じられたとしても、またそれを是とする韓国人でも、自分が賄賂を貰える立場になれば当然のように賄賂を期待するでしょう。その期待を裏切られれば、それに応じた不利益を相手に与えることに、何の不合理性も感じないでしょう。

贈る側としても、相手が一度や二度断っても、それを真に受けることはおそらくありません。前回の記事で紹介したように、韓国では目上の人からの酒は二度までは断るのが礼儀だが、三度も断ればかえって無礼になるとされているのです。

この伝で行けば、韓国では賄賂を贈ろうとした相手に二度断られたからと素直に賄賂を引っ込めれば、「ヌンチのない馬鹿」扱いされてしまうでしょう。

この法律について中央日報の記事によると、韓国の有識者は「大韓民国の不正腐敗史が今後、金英蘭法の以前と以後に分けられるほどこの法施行の余波は大きいだろう。その間の産業化過程で一般的慣行として容認されてきた韓国式接待・請託の文化が根絶されるきっかけになると予想される」と絶賛しておりますが、これもまた「さう旨くはいかない」でしょう。

何しろ韓国は、「自分以外の全ての人は法や道徳に絶対に従わなければならないが、自分だけはその縛りから免れられて当然」と誰もが確信している社会なのですから。


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所作から日本人と韓国人を見分けることは出来るのか

ありがたくも今回もご質問を頂戴しました。【あの「朝鮮飲み」というヤツが、『朝鮮韓国に汚染されているヤツらを識別するのにどの程度有効か』】というご質問です。

「朝鮮飲み」というのは、人前で飲み物を飲む時に、湯呑みやコップを持っていない方の手で口元を隠しながら飲むという所作のことです。あの所作をすれば朝鮮人、あるいは朝鮮人に親しい者と考えて良いのかと問われれば、せっかくのご質問なのに誠に申し訳ないのですが私には何とも言えません。

「朝鮮飲み」の元ネタは漫画「美味しんぼ」だと思うのですが、そこでは「目上の人に酒を勧められたら、二度断って三度目に受ける。酒を飲む時は顔を目上の人からそむけ、口元を隠して飲む」と紹介されています。

つまり「朝鮮飲み」というのは本来酒席での作法であって、水や茶などのノンアルコール飲料を飲む時にまで求められる作法かどうかからして、まず定かではありません。従って、あの所作を行なう者が朝鮮人、あるいは朝鮮に親しい者だということも、俄に関連付けることが出来ません。

私はナマ韓国人とはあまり接触がありませんが、乏しい経験で言えば飲み物をああやって飲む韓国人を見たことはありません。ただ、それは連中が私を格下だと見ていたためかもしれないので、それをもって「韓国人は朝鮮飲みをしない」と断言することは出来ませんがw

彼ら独特の所作で目に付いたのは、飲み物を注ぐ時などに、注ぐ手の下にもう片方の手を添える所作でした。右手で注ぐとすれば、その際左手を右手の下に添えるのです。おそらく朝鮮の宮廷で着用されていた服にはかなり大きな袂があったために、韓国では「袂を抑える」のが貴族などの上流社会の作法みたいに思われているのではないでしょうか。

昔、韓国の場末の定食屋で食事をした際に、その店の店主の息子で十代半ばと思しき少年が給仕をしてくれたのですが、そんな若い子が、しかも調理人用の白衣ですから当然袂のない筒袖なのに、その仕草を当然のようにしていたので、妙に印象に残っています。

日本の場合ですと、茶などを注ぐ時には急須の蓋がひっくり返らないように手を添える仕草をすることはありますが、袂を抑える動作というのは、私が不勉強なだけかもしれませんが、あまり見たことがありません。

日本と韓国では何かにつけ真逆なことが多いのですが、茶を注ぐ時の作法も、日本では上を抑え韓国では下を抑えるというふうに、やはり真逆なのは面白いと思います。

最近、日本で静かに問題視されているのはお辞儀の作法かもしれません。日本の正しいお辞儀とされているものでは、両手は重ねず、まっすぐ自然に身体の側面に沿わせるか、太ももの上に当て、頭を下げるとされております。しかし最近は、お辞儀の際に両手を身体の前、下腹あるいは股間の位置で重ね、肘を張って上半身を折り曲げるようにするのを正しいお辞儀と流布されていることが多いようです。

後者のお辞儀は、朝鮮式の「コンス」と呼ばれるお辞儀とされており、日本式の正しいお辞儀ではないという指摘が少なくありません。

ただ接客業に就くと、研修などで「コンス」のようなお辞儀の仕方を「正しいお辞儀の仕方」として習ってしまうこともあり、これをするから一概に韓国(朝鮮)人だと断定するのは正直難しいところです。

そもそも韓国は日本ほど作法や礼法を正しく伝えてることがないために、「これが韓国の作法だ」と確立されているものはあまりありません。韓国では声の大きい者の言ってることが正しいとする傾向が強く、その時々で作法がコロコロ変わることもあります。あるいは、日本式の作法を真似て、韓国作法とする例もあります。

そんなこんなで、所作から日本人と韓国人を見分けるというのは、かなり難しいのではないかというのが、私の考えです。

ただし、所作によってはその人の行動原理が示されることもよくあります。例えば、日本人の礼儀作法には、「相手に不快感を与えない」「迷惑をかけない」という意識が込められていることが少なくありません。対する韓国人の礼儀作法には、「自分を尊大に見せる」とか「相手を威圧する」という意識が見え隠れすることがあります。

また日本式の作法は長い伝統によって洗練されており、無理や無駄が極力省かれておりますが、韓国式の作法はその時々の思いつきと行き当たりばったりで作られていることが多いために、無理や無駄が目立つということもあります。

日本式の所作には必ずと言って良いほど「そうする理由」がありますが、韓国式には無理やりのこじつけはあっても、合理的な理由がない場合もよくあります。

そういった差を感じ取って、日本人として違和感を覚える人を区別することはある程度可能かもしれませんが、日本人であっても正しい礼儀作法をみっちりと仕込まれている人ばかりではありませんから、やはり所作から日本人と韓国人を見分けることは難しいでしょう。

所作以外でも、日本人と韓国人を一発で見分ける方法というのはおそらくありません。日韓チャットのように、コミュニケーションが文字ONLYの場合は比較的わかりやすいのですが、それでも100%確実に見分けることは出来ませんでした。

ある程度韓国人に慣れた人なら雰囲気でなんとなくそうじゃないかなー程度にぼんやりわかるということはあるかもしれませんが、それでも瞬時に見抜くのは至難の業でしょう。

また一発で確実に見分けることにこだわるのもあまり意味があるとは、私は思っておりません。純粋な日本人でも朝鮮人のような真似をする者は残念なことに珍しくありませんし、純粋な韓国人でも日本人として十分通用し得る人が、あるいはもしかしたらひょっとするとことによるとまかり間違って突然変異的に出現する確率がゼロではないかもしれません。

以前から何度も申し上げておりますが、重要なのは実際の国籍や血統ではなく、実際の行動や思考です。実際の国籍や血統が日本であっても、行動や思考が朝鮮人なら朝鮮人と看做されてもしかたありません。

それが嫌だと思う日本人は、朝鮮人と思われないような行動と思考を心掛けるでしょうし、それを嫌だと思えない日本人は、最早その時点で心において朝鮮人だと思って良いと私は考えております。


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